明日襷のブログ

僕のありがとうをもう一度雄勝へ 5

宮原克人先生。筑波大学芸術学群、木工の先生だ。先生は木曽の漆職人の家の生まれ。生粋の漆師。坊主頭でいつもニコニコしている先生に久しぶりに連絡してみる。もともと先生との縁は仲良しの同級生の担当教官だったところからだ。彼女は木の木目を様々な糸で縫う、という作品を作っている芸術の生徒で、現在横須賀佐島に在住し活動中だ。以前雄勝の石に漆をぬったらどうでしょうかと相談したことがあった。 雄勝の神輿、直せますかね?物語は進行する。ここで終わったら、そこまでなのだ。「宮原先生お久しぶりです、藤原です。実は石巻雄勝町で、被災しながらも残った神輿があるのですが、漆がはがれてしまい直すことができるのかどうか見て欲しいと言われたのですが僕はあまり漆の知識がなく実際に見たとしてもわかりません。そこでもしよければ先生にご同行していただき様子を見てもらえないかと思うのですがどうでしょうか?出来れば今月中に行ければよいのですがと思っているのですがご検討いただければ幸いです。よろしくお願いします。藤原」ここに原文がある。今見返すとあまりに不躾で唐突だった。逃してはいけない一瞬は音もなく過ぎ去って行く。先生の答えは、こうだった。(抜粋)「藤原君 返信遅くなりました。 芸大の先輩で会津大学短期准教授の井波先生に、この件を伝えました。 神輿を見て判断する事は僕でもできそうですが、 筑波には、漆の講座もなく、職人さん達もいません。 今できそうな事は、宮原と井波先生で現場に伺い、 調査しておくということでしょうか。 神輿の写真等があったら送って下さい。」運命の矛先は会津を指し示していた。会津は無二の友達のいる場所だ。縁が少しづつつながっていく。写真を送り、井波先生と連絡が取れると僕は会津へと向かうことになる。それもまた突然だった気がする。僕はその時東北にいて、福島県立博物館学芸員の先輩が呼んでくれた。 漆の芸術祭の報告会があるんだけど、井波先生も宮原先生もくるよー、来れば? 行きます!万事こんな調子だ。奇跡は待っていても起こらない。僕はどうしても井波先生に会いにいく必要があった。初めて訪れる県立博物館。もう雪が舞っていた。僕は友人谷津君に連絡し、合流して一緒に参加することにした。 久しぶり、また太ったな!あいさつはいつも同じだ。学生時代円盤投げを競技にしていた彼の体はいつみても大きい。僕の訪問はほとんど突然だが、いつも快く家に泊めてくれる。大事な仲間だ。宮原先生がいた。僕がくることは知らなかったようだ。 あれ?どうもどうも、久しぶり!会津での再会。連絡はしていたが会ったのは1年以上ぶりとなる。 井波先生はあとでくるみたいだよ!井波先生は公演中に来ていたのだが終わってすぐ帰ってしまった。ここまで来て話せないのはあんまりと、宮原先生が電話をかけてくれた。 終わった後の飲み会にちょっと行きますー!先生に会える。僕も友人も飲み会に誘われて混ぜてもらうことができた。ただし二人とも車なので飲むのはウーロン茶だ。会津、むぎとろ。なんとも風情漂う店の二階が会場だった。一階は地元のおじちゃんおばちゃんが徳利を片手に盛り上がっている。むぎとろの名物はその名の通り麦とろご飯だ。出てくる料理は会津の郷土料理ばかり。  食べてみなんしょ と言いながらビールとともに華やかではないが大将の心がこもった料理がたくさん運ばれてくる。机を囲むメンツも会津に根差したひとくせありそうな人ばかりだ。井波先生に会う前に会津弁が飛び交うその空間を楽しんでいた。話題は会津、漆の芸術祭の今後について。漆の里、会津。ここに雄勝の神輿を持って来れるのか。井波先生が、来た。

小田原のご縁 3

小田原のお神輿は「小田原流」という独特な神輿の担ぎ方をします。木遣り唄を唄う、走る、合体する。独特でアグレッシブな神輿なんです。僕の同級生も、木遣りの唄い手。木遣り唄は短い唄ですが唄い手は神輿の前に出て高らかに唄い上げ、担ぎ手は唄に合わせて掛け声をかけます。歌詞にはたくさん種類がありますが、そのひとつを紹介。(カッコ内は掛け声です)おいっさー こりゃっさーそーりゃんえー (はっ)私ゃ小田原よー (そらよっとこせーのー)そーりゃ 荒波育ちぞ よーいとなーこんな感じです!この後神輿がご祝儀をもらった各家に突っ込んでいき、威勢良く盛り上げます。今日初めて担いだし青年達は神輿の重さや威勢のよさ、熱い雰囲気に圧倒されています。神輿が来るのをとっても素敵な笑顔でまっているおじいちゃん、おばあちゃん。子供を連れたお母さん、お父さん。 俺、唄う!そういって前に行く地元の青年。お世話になっているからと慌てて出てくるその姿がとても印象的。 おっきくなったのねえ、ありがとうね!少し恥ずかしげに笑顔で返す青年の姿は、紛れもなく小田原四区が育んできたあたたかな1ページでした。お世話になった近所のおばちゃんおじちゃんにかっこいい姿を見せたい。そんないじらしさはとても純粋で爽やかなものでした。小田原という町の大人達が子供達をあたたかくあたたかく育てていったのでしょう。神輿が歩いていくたび増えていく笑顔の交流がひとつひとつ町の魅力を紐解いていくのでした。渡御は夜まで続きます。ちょうちんには灯りがともり小田原の駅前を神輿が走り、興奮は最高潮です。肩の痛さやのどの枯れ、そんなことも忘れえいさ、こりゃさと声を張り上げます。最初は少し恥ずかしがっていた新入りの子達もいつしか一体となって大きな声を上げている。お神輿の力ですね!重いものを若い人からおじいちゃんまで一生懸命担ぎ上げ、町を回る。だんだん声が出なくなってくれば仲間が替わってくれる。だんだん神輿が下がってくればえいっと棒を持ち上げる。すぐ横の人と交わす会話。きついな、もうちょいだ。無言のウインク。同じ半纏を背負い、同じ神輿をともに担ぐ素敵な仲間達。そこで生まれる生の心の交流はまっさらでまっつぐ。その空間にいる仲間としてあたたかく受け入れてくれた素敵な人達が僕は大好きで、また必ず担ぎたい。そんなお神輿が小田原にありました。僕の宝物の1つです。その夜は地元の青年と、俺の同級生と一緒にスナック ファンファン に行きました。いかにも、という昭和テイストなスナックで、イケイケのママさん姉妹がふたりでやっています。6坪ほどの空間は壁も天井も真っ赤なベロア張りで、外にはローマを思わせる大理石風の彫刻、重厚な扉。地元の青年がよっぱらってママさん妹と 大都会 をデュエットしていました 笑華やかではないけれど、なんとも言えない人情あふれる空間。閉店までさんざん飲んだあげく、2日目のお祭りへと続いていきます。

僕のありがとうをもう一度雄勝へ 4

雄勝の帰り、僕たちは嬉しいお土産をもらった。20個近いアワビだ。  今年はあんまりとれなくてねえ、これだけだけど。僕らのために、船を出してわざわざアワビを取ってきてくれた。 よろしくね。固く握手をして、僕らは車を走らせた。雄勝。誰もが一度訪れるだけでその魅力にとらわれてしまう場所だ。全て流されてしまったけれど美しい海があり、山があり、当たり前の人の営みがある。決して非日常の珍しさや刺激に魅力を感じているのではない。海外旅行や観光地にいった感覚とはあまりにも違う。僕らは祭礼復活の登場人物であり、ともに考えるメンバーなのだ。僕に役割が与えられた。神輿の修復、祭礼の復活。たくさんの人の思いが集まれば奇跡は起きる。僕はそれを知っていた。今日出会った人達にお祭りを通じてもっと元気になってほしい。会長に最高の祭りをプレゼントしたい。そんな思いを胸にとっても爽やかな気持ちで東京まで走っていった。一緒に行った仲間は疲れていたようだけど、みんなずうっと笑っていた。時々真面目な表情になり、今後を考えた。東北で出会う人達は誰もが笑顔で迎えてくれる。だけどみんな町を失い、大切な人を失い、生活や家を失った。そしてみんなが楽しみにしていた祭りさえも奪っていったのだ。僕はお祭りが大好きだ。お祭りが大好きだから、神輿が大好きだから、奪われる悔しさや悲しさが苦しいほどに理解出来た。ピカピカになったお神輿。神楽舞台。たくさんの人が神輿に集まり、3年前のお祭りを思い出し、大声を上げ、汗をかきながら担ぎ上げる。周りにいる人はみんな笑顔で、子供からおじいちゃんおばあちゃんまで楽しそうにしている。そんな情景が僕に浮かぶ。最高に素敵なお祭りがしたい。神輿自体の修復は漆の経験がない僕には出来ないから。僕はお世話になっている漆の先生に連絡してみた。

小田原のご縁 2

小田原四区町会神輿の下田さんは、書道の先生です。僕らは下田さんの教室に上がらせて頂き、ビールを飲んでいました。下田さんが神輿を担ぐ人にくれるプレゼント。譽 ほまれ、と書いてあります。冠は輿を表しており、みんなで一つのものを持ち上げる、という形をした字だそうです。まさに神輿にぴったり!前回来たときは祷 いのり という字でした。僕はそれをいまでも大切にしていて、彫刻し、塗料を塗ってお祭りの時つけさせて頂いています。下田さんにそれを見せると、とても喜んでくれました。 かっこいいなあ、こうやって使ってくれるなんて本当に嬉しいよ!下田さんが喜んでくれて、僕も大事にしてきた甲斐がありました。ひとつのものを大事にすることはとても素敵なことですよね。少し時間があったので、小田原をお散歩しようとして、神輿の前を通りかかると、会長の小野さんにつかまって、 着替えて、景気付けすっぞー!ということでさっさと着替えて小野さんとビールを飲むことになりました 笑さっきの子供がボールを抱えて つまんないなー と甘えてきます。一緒に来た若い二人に遊ばせ、半纏を来て地元の子供と遊ぶ姿はもう祭りの一員です。そんな風景が好き。お昼が近づき、そろそろ神輿も上がります。3年ぶりの小田原神輿。とてもワクワクしてしまう祭りの前。今日は最高にいい天気です。

僕のありがとうをもう一度雄勝へ 3

白銀神社の本殿は驚くほど立派だ。田舎の小さな神社とは思えず、とてもきれいに整備されている。ここの人達が本当に大事にしているのがすぐにわかった。僕はこういう場所がとても好きだ。神輿の小屋は本殿のすぐ隣にある。閂がかけられ、役員のおじいちゃんが開けてくれた。神輿庫を開けるのも久しぶりのようだ。地元の人はどこか嬉しそうでもある。比較的新しい木の建造物だがしっかりと作られた観音開きの扉を開くと、布にかぶせられた神輿がそこにあった。 大きいな・・・。最初の感想はそれだった。神輿は想像していたものよりかなり大きい。布がかぶせられた状態でも伝わってきた。あの険しい山道を歩いていくのだから、かなり小さめのものであることを無意識に想像していた。布がはずされ、全貌が明らかになる。静かに佇む神輿。秘境雄勝のまぎれもなく最突端である白銀岬にきらびやかな神輿がある事実に僕は単純に感動し、圧倒されていた。そこには脈々と受け継がれてきた人間の気持ちが積み重なった深く豊かな歴史があった。パワースポットという言葉では捉えきれない、この場所の力。爽やかで力強いエネルギーの塊が神輿から風となって吹き抜ける。僕にとっての大きな1ページへの扉でもあった。一見してあまり古いものではなさそうだ。というより、文久三年に納められたとの記録があるらしく(1863年江戸時代、薩英戦争が会った年だ)神輿自体は古いのだが一度補修に出したのが最近のようであり、本体は古いのだが表装はそんなに古くない。屋根にベニヤが張られていたり中の柱がボルトでとめられていたりしている。そしてこの神輿には芯柱がない。ボルトで止められているから成立する構造なのか、御堂の中は驚くほど空っぽだ。破損箇所は主に欄干。神輿を激しく揺さぶるため、どうしても鳥居や欄干に肩が当たってしまうようで、折れてしまうらしい。何カ所か折れている部分や漆のはがれが見られた。欄干だけでも数百の部品で成り立っている。補修は大仕事だ。 うーん、結構壊れていますね。補修となると全部分解して多分塗り直すことになると思うので簡単ではないと思いますが相談してみます・・・。その程度の返事しか出来なかったが町の人はニコニコして祭りの自慢をしている。  この道をさ、大きな声出してみんなで担ぐんだ。それで色んな家を回って神輿が暴れるんだ。チョーサイ、ヨーサイってね。僕らは公民館でお茶を頂いたりして、町の様子やお祭りの映像などを見せてもらった。浜の人達のお祭り談義が始まる。映像見て、この子はどこの子だとか、今はこんなに大きくなったとか。あら、私が映ってるわ、楽しそうねえ、ここで転ぶんだよなー。そんな言葉が飛び交っている。映像から浜の人達に視線を移すと、みんなとても素敵な顔で祭りの様子を見ていた。 本当にみんな楽しみにしていた大好きなお祭りだったんだなあ。僕はこうやってどんどん心を動かされていった。

小田原のご縁 小田原大稲荷神社祭礼

ゴールデンウイーク後半。最高の天気でした。朝7:00。面白い縁で、前の日であったばかりの18歳の少年二人を連れ、つくばを出発しました。若い二人に理由なんていらないみたい。  面白そうですね!それで決まってしまいます。窓を空けると吹き抜ける風があまりに気持ちよく、これから小田原へ行って何年ぶりかに会う仲間達とともに神輿を担ぐ興奮があまりに爽やかで嬉しくって!僕が小田原のお神輿を一番最初に担いだのは2010年。隣に住んでいた大学時代の仲良しの同級生が呼んでくれました。彼が神輿をやっているなんて最初は全然知らなくって、信じられなかったけど、ただ単純に一緒に神輿が担ぎたくってあのとき僕も小田原へ行ったのでした。あのときも確かとてもいい天気で、優しく地元の人が受け入れてくれて。小田原がすぐ好きになったのを覚えています。まだ同年代の祭り野郎たち。あれからどうなったかなあ。故郷へ帰るようなそんな気持ちが僕に生まれてきます。この日は早く出たのが幸いで、お昼前には到着しました。まだお神輿の準備をしているところでした。日陰で休んでいるおじいちゃん達。その周りでせかせか動きながら楽しそうにおしゃべりしているおばちゃん達。ボールを投げ合って遊ぶ小さな子供、そして車あぶねーよー!と叱る日焼けしたおじちゃん・・・お祭りの雰囲気です。たくさんの世代が当たり前に一体となって神輿を囲む風景。今回も最高のお祭りになるな、という予感。 おはようございます!以前お世話になった藤原(あのときはまだ藤原でした 笑)です! 今年もよろしくお願いします! おー!藤原君!久しぶり!元気だったー?今年もよろしくね!会長さんも、一緒に担いだおっちゃん達も、同世代の子達もみんな僕のことを覚えててくれました。嬉しかったなー!とっても温かい場所。これがお祭りなんです。同級生の可児君(キャ二イ)とも合流して、とりあえずビール。18歳の少年達、久保君(くぼちゃん)と大橋君(てっぺー)もちょっと緊張していましたが、お祭りの一員となっていきます。

僕のありがとうをもう一度雄勝へ 2

あれは12月のこと。僕は仲間を連れて桑浜を訪れた。初めて会う会長。総代。軽トラに乗っている、普通のおじいちゃん達だ。 どうも、よろしくね。僕らは神社の前まで車に乗って行き、そこから軽トラに乗り換えた。 こっからはこれじゃないとダメなんだな。神社までの参道。軽トラでギリギリいっぱいだ。みんな3台の軽トラに分かれて道に揺られる。みんな必死にしがみついていたが僕と松浦さん(東京で野菜を売っている。ぽっちゃり系男子だ)は慣れたものでくつろいでいた。こっから歩きで、と言われみな歩き始めるが参道というより山道で鳥居をくぐっても長く道は続いている。坂もかなり急だ。ここを神輿を担いで降りてくるんだよ、と案内してくれる会長さんは言う。こんなに険しい道を歩く神輿は見たことがない。田舎にありがちだが、いつも驚くようなことを平然とやってしまう。なぜかって、昔からそうだったから。それだけ。シンプル。道を上っていくとここがいかに高く切り立った崖なのかがわかる。リアス式海岸特有の風景だ。隕石がそのまま突き刺さったような岩の群れに荒々しくも澄み切った波が打ち寄せている。そこに現れたのは目が覚めるような朱塗りの社。ここは白金崎の突端だ。地図にも載っていないこの神社のことを浜の人達は大切に大切に思い、感謝の気持ちを当たり前に持っている。みな神社に入る前に熱心にお参りし、訪問を知らせる鐘を鳴らす。なんて美しい風景だろう。それは当たり前の挨拶なんだ。白銀神社に、いつも見守ってくださってありがとうございます。その気持ちは爽やかで、嘘がない。僕はこの場所が大好きになった。僕らもまずお祈りする。 初めまして、お邪魔しますね。白銀神社は受け入れてくれた気がした。神様はとても優しいのだ。神社には先に来ていた氏子の人達が待っていてくれて、みな笑顔だった。 神輿の小屋は神殿の隣にあった。お参りをすませ、僕らは神輿小屋の扉を開いた。

僕のありがとうをもう一度雄勝へ 1

今回の物語も、一本の電話からだった。その日は雄勝の美しい砂浜、荒浜に新たなシンボルが出来た日だ。雄勝希望のキャンパス。荒浜に出来た大きな白い壁。そこには住民の思いや多くのメッセージ。「バカボンド」井上雄彦の絵。そして春、満開の桜を咲かす大木。そんな1ページが開かれた日だ。この大木を描いた青年は、今回の舞台雄勝桑浜の会長の甥だった。そこに会長の永沼信良 ながぬまのぶよし さんもいた。会長は僕が以前作った神輿のことを知っていて、そこにいた雄勝を支援しているトモノテの中川千鶴さんに尋ねた。   桑浜の祭りでも神輿上げたいんだけど、一度修復しないといけないんだよなあ。   桑浜の神輿は津波にあった訳ではない。記録では150年ほどの歴史がある神輿で、震災後初めて上がる神輿にもう一度立ち上がるという思いを込めてしっかりと修復をしたいとの思いがあった。千鶴さんはその場で僕に電話をかけた。そのとき僕は何していたっけ。確か東北帰りのパーキングだった。 雄勝の桑浜ってとこがあるんだけどさ、神輿直して欲しいんだって!これが物語の始まりだ。大きな物語の最初の一瞬はいつも驚くほど突然で、ドラマティックなんだ。その後会長に電話が渡された。  神輿きれいに直して、今度またお祭りやりたいんだ。「またお祭りやりたいんだ」雄勝でこの言葉を聞いたのは2度目だった。初めはそう、僕がじいさんと作ったたなこや商店街のお祭りの一番最初だ。僕はお祭りが好きだ。どんなに楽しくて、どんなにみんなが楽しみにしているか。僕が一番良く知っている。だから。  わかりました、行きます。今回も躊躇はなかった。ただ信じていた。お祭りの力を。