明日襷のブログ

追いかけた背中

ずっとここにはじいさんがいた。 今年僕はここに立った。 それだけのことだが、それだけのことでもない。 40年前。この里には神輿なんてなかった。 一度途絶えた文化。 お祭り、やりたいよね。 情熱が形になった。たくさんの人が集まり神輿が完成した。 一年に一回、里が一つになる日をつくろう。 それがずっと続いている。 お祭りは一人じゃ出来ない。 神輿は一人じゃ上がらない。 それが何を意味しているのか。 文化だから、残さなきゃいけないから。 そういうことじゃないのかな。 お神輿がある事でこんなにたくさんの出会いがあった。 こんなにたくさんの物語に出会えた。 お祭りを続けるのは、大変だ。 肩も痛いし、喉も枯れる。 楽しいだけじゃないかもしれない。 だけどこんなに!熱い思いが交錯する。 一生懸命になれる。 僕らは若くて、お世話になる事ばかりだ。 お祭りの日は、恩返しが出来る。 若いけど、役に立てる。 お祭りとはなんだろう。 どうして何百年も続いてきたのだろう。 僕はその意味を考えている。 このままじゃ、お祭りはなくなってしまうかもしれない。 本当はみんなわかっている。 無くなってしまったお祭りもいくつも目の前にした。 残さなきゃいけないから、でも、意味があるから、でも、楽しいから、でもない。 今の僕には仲間がいる。 もう、ひとりじゃない。 お祭りを真剣に語り合い、共に神輿を担ぎ、未来を考えられる仲間が。 まだまだ、色んな祭りへ行こう。 もっとご縁を大事にしよう。 僕には若さがある。 もっともっと。 お祭りだけじゃない。 僕らが考えなきゃいけないことにもっと目を向けよう。 次の世代へ、何をつないでいかなきゃいけないのか。 何を残してはいけないのか。

僕が神輿を担ぐわけ

僕の目には、やせこけた車椅子のじいさんの姿があった。   2年前。じいさんの最後の祭りだった。 じいさんはもう、茶木は持てなかった。   祭り。 僕は年間に何度も祭りに行くが偏にこの人の背中を追っている。 じいさんが人生かけた祭りとはなんなのか。 そこに何があり、どんな人がいるのか。   僕はがむしゃらに追いかけた。 祭りという祭りに参加し、必死に声を上げた! 力の限り担いだ。 たくさんの仲間と、神輿について語り合った。 祭りとは、なんなのか。     去年のお祭りは、大雨で中止だった。 じいさんが亡くなって、初めてのお祭り。神輿は上げられなかった。   今年は、神輿が上がった! 様々なところから来てくれたたくさんのご縁。 僕が祭りを学ぶうちに多くのご縁を頂き、じいさんの神輿を上げに来てくれた。 大好きな仲間たちで上げた神輿は、特別だった。 来てくれたたくさんの仲間。 どの仲間ともお祭りの思い出がある。 たくさんの物語がある。   じいさんはその半生を神輿に捧げた。   俺はな、お前のじいさんと40年も祭りやってんだぜ。   俺が小さな頃からお神輿の場にいるおっちゃん。 今年、様々な場所で一生懸命担いだ。 どこの神社でもおっちゃんらの笑顔があって、そんな素敵な人達がじいさんの神輿を担いでくれている。 本当に強くご縁を感じた日だった。   この神輿を続けていくにはどうしたらいいだろう。 もっともっとたくさんの人に愛され、もっともっと魅力的なお祭りにするにはどうしたらいいだろう。 試行錯誤は続いている。 これは僕の役割なのだ。 少しずつ、育てていかなければいけない。 また次に繋げなければいけない。 僕らがじいさんから渡された襷。   祭りはみんなを元気にするから。   じいさんの言葉は嘘じゃなかった。 僕はこれからもじいさんが残したこの大きな宿題に取り組んでいきたい。 神輿という明日への襷をつないでいくために。

雄勝のきずな、鼓舞4

どこまでも爽やかな朝だ。どこまでも突き抜ける空。コバルトブルーにゆれる海。僕らはひとつのページをめくった。2011年3月11日に生まれた山車が、その日をきっかけに出会った雄勝という場所に降り立った。雄勝の人達も全然知らなかった。この場所にも来る事もなかったかも知れない。お祭りのキーワードでつながった場所。一生、参加します。祭りは、そういうこと。茨城へ向かっている。しげきさんも笑顔だ。 きずな。この言葉を嫌いな人もいる。簡単に使いすぎる人もいる。だけど、僕と、雄勝と、しげきさんと。お祭りのためにつながったもの。一生かけたいと思った覚悟。それが きずな なんだとしたら。僕は大好きだ。そんな人達とそんな場が。つくばではしげきさんの里、小田不動尊のお参りを大獅子保存会の方々がしていた。小田の里の小さな不動尊。行灯が丘の上の不動尊まで並ぶ。ひとつひとつ行灯に火を入れ、お囃子を鳴らしながら階段を上る。幻想的な風景だ。里にある風景。里にある人の営み。きずな。週末、僕らは出発する。鼓舞という大きな一歩のために。

善光寺木遣りが聞きたくて

関越道高坂SA。僕と和也くんはふたり餃子ドックを食べていた。今日は和也くんの車、シルバーのEKワゴンだ。 運転、代わる?僕らは和也くんの実家に向かっている。長野県長野市、善光寺のすぐ近くだ。諏訪部和也の名前を聞いた事がある人はいるだろうか?かつて日本の競技エアロビック全日本選手権3連覇、世界ランキングでトップに輝いた。そんなやつだが、うちの隣に住んでいて、七輪で焼き肉を焼くのが大好きだ。長野善光寺近くの武井神社の祭礼はかつて一度だけ参加させてもらった。平成22年の大祭に、武井神社がある東町の氏子青年会が発足した。東町の顔である彼の祖父が祭りで挨拶し、親父さんが青年会を引っぱりお母さんが他町会をもてなす。お祭りを守っている。 日帰りで実家帰って神輿担いで帰るの!?あり得ない 笑「普通」の反応だ。しかし僕がどうしても神輿担ぎたいと言うので彼は付き合ってくれた。お祭りの日に実家に帰って神輿を担ぐ。そんなことを少しだけ、大事だと思ってくれるなら。3年ぶりの彼の家。お母さん、おばあちゃん。 ご無沙汰しています!おでんと、とうもろこしと、お肉と、ちらし寿司。お母さんが用意してくれていた。 お腹空いてたでしょ?今日は、お祭り。僕らは早速衣装に着替えた。東町と刻まれた半纏と帯。 帯、これでいいの?半だこに、ダボ。半纏、帯、はちまき。なかなか似合っている。武井神社の祭礼は御射山みさやま祭というらしい。あちこちにポスターが貼ってある。長野もお祭りシーズンなのだ。僕らは神社へ向かった。神社にはもうみな集まっている。東町の半纏は、前の方だ。今日は親父さんが司会。マイクを握って会を進行していた。神事が行われている。武井神社では、すすきを奉っているようだ。白装束の子供達がすすきを持って神事を行っていた。神輿は非常にシンプルだが、大きい。白木の桧作りで、彫りものも少ない。錺金物も必要最低限だ。武井神社の面白さは、なんといっても善光寺木遣り。もともとは労働歌だったらしい善光寺木遣りは、もちろん善光寺の行事で唄われるのだが神社祭りでも唄われている。無形文化財に指定され、善光寺公認できちんと資格もあるという。要所で唄い手により奉納されるのだ。これを聞くために、来た。 親父さんも唄うの?今日は司会のため唄わない。以前は唄っていたような記憶もある。練習会は祭りの前になると毎日のように行われているようだ。飲み会、でもあるのかもしれないが。武井神社のお神輿は「ワッショイ」。子供神輿と同じようにワッショイで担がれるが、ステップがある。声だけで担いでいたら、怒られた。 ちゃんと足あわせろよ。ワッショイのリズムは、江戸前よりハイテンポだ。ワッショイの間に、二歩進む。途中の休憩では、善光寺地蔵盆で配ったらしいお菓子をもらった。そういう町、なのだ。はいっていたのは、ぱりんこ。と飴。イチゴみるくキャンデーとあわだまパイン。 善光寺木遣りは、女の人も唄っている。真ん中金髪の方はリトアニアの方だそうだ。ディープな日本文化に浸り、習得している。喜ばしいことだ。宮入りでは、花火も上がった。立ち上がったばかりの氏子青年会が工夫して、お祭りを盛り上げている。自分達の里のお祭りを育てている。素敵な風景だった。神社に木遣りを奉納した後、神輿の中の御霊と、拍子木が返還された。直会ではすすきと、萱の箸を頂いた。大雨が降って来たので、あいさつもままならず、担ぎ手は散り散りになった。 ああ、びしょびしょねえ。家に帰るとおばあちゃんがいた。 すすきと萱のお箸もらってきたのね。明日の本祭の朝、この箸でお赤飯を食べるの。 萱の箸でご飯を食べる事で、人の原点に返るのよ。それが御射山祭の意味のようだ。  地蔵盆とお祭りが終わると、いよいよ秋が来るのねえ。神社と善光寺が町に根付き、人の営みを作っている。  僕らは明日、4:00に起きてつくばへと向かう。 鼓舞のために山車を運ばなきゃ!

雄勝のきずな、鼓舞3

僕らは常磐道を北へ向かう。ユニックには僕の山車が乗っている。紛れもなく、僕が作った。バックミラー越しに写る、縦に積み上がった山車。異様な姿だが、僕の大事な作品だ。ドライバーはしげきさん。ダッシュボードには、スルメとコーヒー。いつもの遠征のスタイル。と。エンジンが止まった。 ん!何かが、おかしい!サイドミラーに写り込む、白煙。室内にも侵入して来た。惰性でインターを目指そうと思ったが、大事をとって停止。僕らは高速道路に放り出された。灼熱の道路上。ミサイルのように走り来る車たち。僕らは山車を積んだ壊れたユニックとともにいた。 どうしましょうね、、、発煙筒に火をつけ、しげきさんは色んなところへ電話している。物語はいつもドラマティックに進む。何とか助けが到着し、事なきを得た。エンジンはダメかも知れない、が山車は運ぶしかない。運良く、代わりのユニックが見つかった。貸してくれたのは、しげきさんがユニックを購入したところ。 これなら大丈夫ですよ、ただこれから名義変更するんで、ちょっとお待ちを。人の縁と幸運が重なっていた。山車は、雄勝へ向いている。僕らはもう一度走り始める、ユニックは快調だ。山車も心配ない。  一気に行くゼ!まだ、土浦。僕らと、僕らの山車は、鼓舞へ向かっている。雄勝の祭りの、新たな一ページを共に刻みたい。僕の山車が静かに目覚め始めていた。pm 10:30。たなこ屋商店街に到着。一見だけ灯りがともっている。そこが洸洋、神楽師の上山さんのお店。山車は無事届けられた。僕らはクタクタだ。今夜は早々に寝て、次の日の朝山車は下ろすことにする。しげきさんの長距離運転をねぎらい、上山さんが用意していてくれたビールと心づくしの料理。美味しくてたまらなかった。今夜は明神に泊まる。しげきさんも僕も、泥のように眠った。朝。上山さんが迎えに来る。太陽がさんさんと照りつける、暑くなりそうな日だ。山車は無事雄勝へ降り立った。雄勝のまつりの小さな一ページへ。しげきさんは雄勝のおみやげを選んでいた。祭りは、ついに週末だ!

山奥のおかぐら

遠くでお囃子がきこえる。ここは山梨県小菅村。高速の出口から1時間ほど、山道を走ったところだ。今日は熊野神社の例大祭。先輩がお神楽を舞う。それを見るために、来た。果てしなく山道だ。牡鹿半島の鮎川浜までの道を思う。海は見えないが、だんだんと深く山へと入っていく。途中川が流れている。渓流を見ると、岐阜を思い、投網を投げたくなったりもした。今日は投網は持っていない。僕は夏の終わりの涼しい山の風を感じながらボンゴを走らせる。神社についたが、誰もいない。電話もつながらず、僕は孤立していた。田舎ではよくあることだ。祭りは18:00から。僕は山の風の中を感じながら車の椅子を倒した。2時間ほど、経っただろうか。電話が鳴っている。 ごめんごめん、ここ電波ないんだよね、お祭りはじまるよ!僕は神社へ向かう。やっと合流出来た。つくばから4時間ほど。何度も誘われていたがご縁に恵まれなかったここは小菅村、小永田という地区だ。先輩はずっと小菅村とご縁を持ち、一時期住んでもいたようだ。加藤翔さん。僕の高校の先輩だ。高校時代は全く縁がなかったが共通の知り合いの紹介でご縁ができ、様々な場所で出会いがある。先日も陸前高田でともに山車をひいた。普段は稲城市に住んでいる。白いTシャツに作業ズボンという出で立ちで、後ろのベルトに笛をはさんでいた。到底これからお祭りだとは思えない格好だが、神楽の舞台は立派に飾り付けられ前にはブルーシートが広く敷かれている。これから祭りが始まる。里の演者達にはお神酒が振る舞われる。 今年も楽しいお祭りをやりましょう!区長さん。シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャン。ここの手締めは7つ締めだ。ちなみにつくばの小田の祭りはシャンシャンシャン、シャシャシャンシャン、シャン。手締めの文化は面白い。こんな小さなことだが地域文化、日本を感じることが出来る。舞台が、始まる。お客さんはまだあまりいない。お囃子に合わせ、神楽師が勇壮に、時に優雅に舞う。 格式ばった神楽なんてものより、菓子でも食いながら笑って観るのも神楽だべっちゃ。雄勝法印神楽の神楽師で鼓舞の発起人である上山さんの言葉だ。舞台や演芸を、僕らはどこか「静かに」「行儀よく」見るものだと思ってしまっている。神事である神楽は特に何も知らない僕たちにとってはそう思えてしまう。いつしか舞台上と舞台下が分離してしまっていたが、神楽師の上山さんはそうではないという。  子供の頃は舞台の端っこに座ってお菓子食べながら見てたもんだよ、酔っぱらって舞台に上がって来て口の中にご祝儀やまんじゅう詰められたりしてさ、よく鼻血出してたっけな!舞台の外で笑い合う子供たち、真剣に見ている神楽好きな視線、お祭りで久しぶりの再会を喜ぶ声、愛情たっぷりの野次・・・・そんな中で神楽は風景に溶け込んでいる。神楽を舞う演者と神社に礼をはらい、素敵に楽しめるきっかけ。そんな、愛される風景を。だんだんと人が集まって来た。神楽舞台の前にたくさんの笑顔。みな思い思いに食べ物を広げ、ビール片手に楽しんでいる。誰も「真剣」じゃない。子供も、大人も、お年寄りも。みな朗らかだ。全然見てなかったり、笑い声が起こると時々面白そうに顔を向けたり。舞っているのはみな里の仲間なのだろう、面をつけても名前が飛び交う。 ◯◯ちゃん、日本一!温かな場だ。とても心地よい空間。翔さんが出るのは第二幕、剣製作貢之幕だ。小僧の役として、おどけた場面もあり、しっかりと舞う場面もあり。舞台の重要な登場人物。翔さんは、小菅村の一員だ。舞台の最後、千秋楽は道化の演目だ。一番うまい演者で行う、ほとんどがアドリブだという。お客さん達も多いに盛り上がり、大声を上げて笑っていた。最後はお菓子をまいて、終了。間違いなく里の素晴らしい風景だった。神楽。神輿しか知らなかった僕の世界がひとつづつ広がっていく。里に愛され、根付いているたくさんの楽しく温かい風景がある。これからもたくさん学んでいきたい。未来の子供達に伝えられますように。

雄勝のきずな、鼓舞2

物語はいつもドラマティックだ。朝7:30。僕は前日の長野武井神社の祭礼から4:00に出発し帰って来ていた。約束は8:00だ。ユニックが家に迎えに来る。白銀神社の神輿のときと同じ、しげきさんのあのユニック。しげきさんは小田の大獅子保存会、獅友会の副会長で僕の兄貴分だ。祭りがご縁で出会った。今回も祭りのことなら、としげきさんにお願いした。 オイッス!しげきさんは庭師。小柄な体で高い木の上でも身軽に動き回る。赤銅色に焼けた肌に真っ白なワイシャツ。襟元には三ツ星に一文字の渡辺星の家紋という粋な出で立ちだ。何度目かのしげきさんとの冒険に胸が高鳴る。山車の置き場にはマギーがいた。先日のまつりつくばでしげきさんには会っている。まつりでつながるご縁だ。ここで一つ目のハプニング。山車が大きすぎる。平のユニックにそのまま入る予定だったが山車の幅が大きく、入らない。のでしげきさんは考え、縦に積むことにした。山車が縦になっているのを見るのは初めてだった。自分で作ったものだが、思ったよりしっかりしている。2年半の月日が流れ、この山車は文字通り立ち上がったのだった。 いってらっしゃい!僕らは山車を積み、出発する。今日も雄勝には待っててくれる人がいる。この山車がまたたくさんの人に笑顔と感動を与えられますように。雄勝でまたお祭りがある。とっても素敵なことだ。仮設商店街の店子屋オープン祭、店子屋一周年。白銀神社例大祭。そして鼓舞。僕らは雄勝の祭りの風景になりたくて、少しずつ少しづつ縁を深めてきた。また特別な一ページ。あの日から、2年半。僕らは順調に走っていた。今週末は、お祭りだ!お祭りの力。芸能の力。それを信じて、実行する先輩がいる。僕も学びたい。僕も知りたい。じいさんが人生かけて追い求めたお祭りの意味を。

雄勝のきずな、鼓舞1

お祭りとはなんだろう。いつも考えていたこと、けれど改めて言葉にはしなかったこと。「鼓舞」は、震災後初めて生まれた「お祭り」だ。味噌作胴囃子愛好連伊達の黒船太鼓雄勝法印神楽の3つの芸能の団体が主催している。発起人は、雄勝法印神楽の神楽師であり店子屋洸洋のおやじ、上山さんだ。 お祭りってさあ!上山さんと飲んでいたとき聞かせてもらった。非常に印象的な言葉だった、僕はお祭りの本来の姿に触れた気がした。 「お祭りってさあ、今回の震災のように何か大きな出来事があってその後の鎮魂の意味とか、ばらばらになった心をもう一度一つにする意味とか、そうやって始まるものなんだと思う。 今回の震災で雄勝で生まれるお祭り、それが鼓舞なんだ。ここにある芸能の力でどれだけの人が帰って来てくれるか。雄勝をもう一度思い出してくれるか。 芸能は人のよりどころでなくちゃいけない。いつもそばにあるものなんだよ。  だから、お祭りやるんだ。」今回のお祭りは、意味が違う。雄勝の町と人の営みの中で生まれて来た新たな息吹なんだ。今回の鼓舞で、僕の山車が登場した。なんて嬉しいことなんだろう。地元の芸能「だけ」で行われたはずのお祭りに、僕らが参加させてもらった。スペシャルゲストとしてだが、同じ舞台に立つことが出来たのだ。上山さんは言う。「雄勝には神輿はあったけど山車はなかった。雄勝の祭りの新たな一ページには山車がふさわしいんじゃないかな」俺の山車は奇しくも2011年3月11日に完成した。朝5時。前の日徹夜で仲間と山車を完成させたのを覚えている。完成して仲間と刻んだ。なつかしい。こんなものが残っていた。差し替えた欄干の柱だ。山車が完成して、仲間達と山車の上に飛び乗って、そのまま空を見た。夜明けだった。そんな思い出がある。家へ帰って、もう一度山車を見に来た。14時46分。大地震が起きた。3月13日に予定されていたお祭りは中止になり、山車はお蔵入りとなった。そう考えると、ずっと眠っていたこの山車は鼓舞のためにずっと力を蓄えていたような気がする。この山車はあれだけのエネルギーで産み出されたにも関わらず邪険にされ、陽の目を見ることはなかった。あれから2年と半年が経った。やっと!やっと!思い描く最高の舞台へ。俺の山車は出発する。いつものしげきさんのトラックに乗って・・・・いざ、雄勝へと!

岐阜、お茶と盆おどりの旅 1

[日時]2013/8/14~17[場所]岐阜県郡上市八幡町 徹夜おどり陸前高田から、約1000km。岩手の地で先祖を迎え、地元横浜で祖父の帰りを見届けて岐阜で先祖を弔う。場所は大きく異なるが、今年は各行事を本気でこなすつもりだ。今度は岐阜へ。岐阜へ行くのは3度目だ。一度目は5月。春日村でお茶との出会いだった。一番茶を摘み、深く高尚なお茶の文化の入り口を見つけた。二度目は6月。二番茶を摘んだ。二番茶は紅茶にむくと聞き、春日茶をこよなく愛するちゃぼぼ園の中村さよさんに教わり、実際に紅茶を作った。鮮烈の美味しさだった。岐阜の魅力にとらわれ始めていた。岐阜、郡上八幡では「徹夜おどり」が行われるという。はっきり言って盆踊りの文化は僕の中には全然なかった。先日まで炭坑節も踊れなかったくらいだ。 徹夜おどり?聞いたこともなかった。非常に不勉強で恥ずかしいのだが郡上八幡での徹夜おどり、とは毎年お盆の四日間(今年は8/13~16)に毎日夜20:00ころから朝4:00ころまで郡上おどり、というおどりを踊り続けるのだという。凄まじい行事。僕はおどりは全くの素人だが、とてもワクワクしていた。楽しみだ。今回、東京から向かった仲間は6人。現地合流を含めて8人が明日襷クルーとして現地調査をする。といっても、ただ心の限り楽しむだけだ。現地についたのが午前7:30。徹夜おどりの開始まで、僕らは郡上の街を楽しむ予定となっている。郡上小学校の校庭が一般向けの駐車場になっていた。僕らが到着して一番最初にやったのは、投網の練習だ。投網?と思うかも知れないが、投網の練習は今回の旅では非常に重要な要素である。後でわかってくるはずだが、僕は前日炎天下広場で約3時間、投網を投げ続けていた。まだ完璧とは言えなかったので調整のため投げる。広い校庭は練習にはうってつけだ。仲間にもはじめて投げてもらうが、全く広がらない。コツをつかむまでは難しい。ひとしきり投げた後、僕らは郡上を流れる川へ向かった。郡上八幡は水の街だ。郡上の街には地元の人が大事にしている水路が流れていて、飲料水にもなるし、野菜を洗ったり、冷やしたりするのに使う。川とともに生きているのだ。そこを鯉や鱒が気持ち良さそうに泳ぐ。淀んだ公園の魚達とは違い、魚達は気高く、嬉しそうだ。天気が最高に良かった。水は勢いよく流れ、ピカピカと澄みきっている。町並みは美しく、夜の面影も漂う。屋台にはちょうちんが並ぶ。日本の風景だ。そこには人のいとなみがある。スーパーに行けばおばちゃんが夜のおかずを買っているし、釣具屋のおっちゃんは団扇片手に人通りを眺めている。子供達は川へ飛び込み、アユ釣りに没頭するいつかの“少年”たち。日常、なのだ。夜になれば世界中から郡上おどりを踊りに来るという。そんな風景の一ページに入り込んでいる。僕らも登場人物なのだ。夜になるまで、ぼくら少年少女達はずっと川遊びをしていた。こんなところから飛び込む仲間もいた。郡上の川、郡上の街は優しく僕らを迎えてくれ始めていた。

小田原のご縁 4

2日目の朝。この日もいい天気でした。神輿は昼から。僕はひとり朝早く起きて三浦半島へと向かっています。僕は三浦海岸の駅につき、バス停を見ました。バスはしばらく来ないようなので、駅そばを食べます。コロッケそばひとつ。1年に何回かしか来ない三浦。いつも僕の中の風景は青空です。駅前で変わらずサザエを売っていて、反対側では小さな野菜の直売所。目の前に広がる三浦の海岸を眺めながらバスは走っていきました。三浦霊園前。そこからお墓までは15分ほどの道のりです。どうせ早めについたので僕はゆっくり歩いていきました。ゴールデンウイーク、快晴の朝。小さな土手にはまだつつじがきれいに咲いています。おじいちゃんと遊ぶ小さな子供。しゃぼん玉。お天道様は少し強めに照りつけ、額に少し汗を浮かばせながら霊園の坂を上がっていきました。まだ兄貴や姉ちゃんは到着していない様子。僕は一息ついて良く手入れされた庭園のベンチに座って池をぼんやり眺めていました。眠くて二三度舟を漕いだ頃、電話が鳴ります。 ついたよー、どこー?兄貴達が到着したようです。黒塗りのマジェスタ。車屋の兄貴はいつも違う車に乗っています。 よう!兄弟と、伯母さんと、姪っ子、甥っ子。こんな時にしか揃わない互いに忙しい家族ですが、みな笑顔で再会しました。親父の墓からは相模湾がきれいに見えました。高台からの見晴らし。永遠の晶と刻んであります。僕は線香をあげ、手を合わせて目をつむりました。たくさんの情景や感情が浮かんできますが、言葉に変わる前に僕は目を開けました。5年。長いようで、短い。様々なことがありました。何かが変わったようで何も変わらない。今日は親父の命日です。小田原へ戻ると、今日もたくさんの仲間と待ち合わせしています。初めての人もいれば、久々の人達も。しかし人が少ないので早く来てくれと電話がかかってきていたので、自己紹介もままならず。とりあえず、行きます!と神酒所まで走ります。こんな慌ただしいハプニングも祭りならでは。こんなことさえ楽しみながら今日も祭りが始まります。僕らが参加している祭りは「大稲荷神社例大祭」です。ゴールデンウイークは小田原は祭り一色になります。5月2日、3日と北条五代祭りといって早雲から五代続く北条家を偲ぶお祭りで、小田原城から甲冑隊や忍者のパレードも出る盛大な催しです。ホームページに様子があります→http://www.scn-net.ne.jp/~ms81999/godaimaturi.htmlそして4日、5日は松原神社、大稲荷神社、山王神社、居神神社、下府中神社の五つの神社の例大祭を合わせたものです。僕らがいるのは大稲荷神社氏子町会の四区。地元の方には「だいなり様」と呼ばれ親しまれています。お昼頃になると駅前に行って松原神社の町会神輿とも顔合わせします。僕らは四区の半纏ですが松原神社の町会は浴衣で担いでいるところも多い。応援に来ていた妹と。漁師町の神輿には独特の文化が残っており、木遣りを唄いながら走って担ぐ姿や他の神輿と合体する姿は勇壮です。また松原神社では「飛神杯」(神輿が走ることを飛ぶ、と言うようです)神輿のタイムトライアルがあります。面白いですね!こちらも→http://www.en-phots.net/P120504.html昼間の駅前での顔合わせが終わると僕らは大稲荷神社へと神輿を担いで向かいます。途中走ったり、他町会と合体したりしながらえいっさー、こりゃっさーと声を張り上げていました。だいなり様の古い階段に全町会の神輿が並びます。古い桜の木の下で宮入りの時を待つぼくら。この時の緊張感はなんとも言えません。前の町会の5区の宮入りが始まります。宮入りのとき。三本、木遣りを奉納します。神輿に乗った神様を返す時です。僕らも気を引き締めます。三本目、最後の木遣りは歌詞が決まっています。そーりゃんえー 十で当地のよーえー 大稲荷様だぞ よいとなーそれを聞いた後僕らは社の階段まで走ります。ぴたっと止まった後子供が神輿にのり、木戸を開けて中から御札を取り出し、神主へと渡します。その間 えっさ ほいさ と力の限り叫ぶ。きっちりと宮入りが完了しました。少し休んでから、各町会へと帰っていきます。ひとつ、嬉しいことがありました。神酒所前。どっこい、やろうよ! どっこいどっこい どっこいそりゃの掛け声が始まると、前から僕を呼ぶ声が。 甚句、唄ってよ。甚句を2曲唄わせてもらい、全行程渡御が終了しました。小田原、神輿で繋がるご縁。その夜もたくさんのありがとうを伝えることが出来ました。また来年の神輿へ向けご縁を大切にしていきたいと思います。