明日襷のブログ

おかえりの七夕、ただいまの風 -陸前高田 うごく七夕-

2013/08/10 神輿、祭

Asitaskiインターン生のまぎーです。[maggie]のカテゴリで記事を更新していきます。どうぞよろしくお願いします!  2013年 8月7日陸前高田 うごく七夕--------------------------------------------------- 震災後ニュースでは何度も見聞きしていた陸前高田の地。初めて足を踏み入れることが怖くなかったと言えば嘘になる。  有名な”奇跡の一本松”。休まず動き続ける何十台にも及ぶショベルカー。がれきの山々。ずっとずっと遠くまで見通せてしまう海辺の街の姿。  ”復興はこれから”ということをまざまざと見せつけられ、これまでこの地を訪れることも、震災に真正面から向き合うこともできなかった自分の弱さやずるさを改めて思い知らされた私は小さくなっていた。 そして今回も私は“震災ボランティア”としてではなく”まつりの参加者”。複雑な思いを抱えながらも、大好きなお祭り。思いきり楽しもうと決めた。 縁あって七夕をひかせていただいた和野地区は、幸いにして津波の直接的な被害は免れた。住宅や田畑のあるのどかな風景の中をオレンジ色の衣装と華やかな七夕で練り歩く。 ”町内のみなさま 和野の七夕がやってまいりました~” という会長の明るいアナウンスがはじまると待ってましたとばかりに、地域の人々が顔を出し笑顔で七夕を出迎え、我々学生にも声をかけてくださる。 賑やかなおはやしと、こどもからおじいちゃんおばあちゃんまでみんなの笑顔に包まれて、集落全体がオレンジ色に彩られていくような気がした。 七夕は津波の甚大な被害を被った、旧商店街を中心に陸前高田の街まで練り歩いていく。かつては商店や住宅が立ち並んでいた場所も、ずっと遠くまで見渡せてしまう。 遠くに見える華やかな七夕が、交差し、こちらに向かってくる様子は悲しくもあり、本当に本当にきれいだった。 ”みなさん空からこの七夕が見えていますか。” ”今年の七夕飾りの出来はどうですか。” 亡くなった人々が無事に陸前高田の地に帰ってこれるように、七夕は大きく美しく飾りつけられるそうだ。  子どもから大人まで地域の人が心をこめて、明るくにぎやかに御霊とご先祖様に”おかえり”を伝える。 ”ただいま”と応えるように、やさしい風が短冊を揺らす風景を見ていたら、自然と涙が頬をつたっていた。  毎年8月7日に合わせて、お囃子を練習し山車を飾りつける。 大人も子供もみんな一緒になって七夕を迎える。 地域のみんなが七夕を心待ちにする。 地域の人と一緒においしいお酒と御馳走をいただく。 先人の想いを地域みんなでつないでいく。そんな美しい光景がこれからもずっとずっとずっと続いてほしいと心から思った。  私自身、今回”震災ボランティア”としてでなく、お祭りを盛り上げる一員として、陸前高田の町を訪れることができ本当によかった。 陸前高田を”=被災地”として見るのではなく、素晴らしい伝統文化と、愉快で素敵な人々の住む”陸前高田”として見ることができ、好きなまちのひとつになった。 これから私が”震災復興”や”地域振興”とどう向き合っていくべきかわかったような気がします。 和野地区のみなさん、岩大、東北大、神戸大、筑波大のみんな、素晴らしい体験を本当にありがとうございました。 またきっと遊びに来ます。           

“うごく七夕”〜陸前高田へ 1

[日時]2013/8/7[場所]岩手県陸前高田市和野地区[祭り]うごく七夕陸前高田までは、つくばから約10時間。途中休憩を何度もはさんだものの、とても遠かった。今回の旅の目的は陸前高田の うごく七夕 まつりに参加することだ。僕宣也と、ユースのマギーと立川くん、そして今回参加する6人の学生と朝8:30、つくばを出発した。何度となく通った東北の道だが陸前高田は南三陸よりさらに北。岩手県だ。いつも見えてくるとほっとする風景も今日は通過点でしかない。道のりは長いが祭りが待っているワクワクが車を滞りなく進ませる。陸前高田の街は今はまっさらだ。沿岸地域は津波被害で大きな損害を受け、今はがれきも片付き造成地区がずっと続いているように見える。僕らがついたのは夕方だったが夜になれば漆黒の世界となるのだろう。南三陸より広い分、夜の闇は深い。僕らはまず陸前高田のカメラマン、大友さんと合流した。大友さんは活発な人で、つくばにも何度も足を運んでいるようだ。筑波大生とも面識がある。僕は初めての面会となる。しかし祭り前夜、大友さんはなかなか捕まらない。何カ所か回って、最後にたどり着いた氷上神社で待ち合わせる。氷上神社の一の鳥居の前にはもうすでに山車が置いてあって、上では地元の小学生、中学生が笛をふき、太鼓をたたいている。仕切っているのは地元のおっちゃんだろうか。   もうちょっとゆっくりー!もう一回いくぞー!明日の祭りに備え最終調整に入っている。子供達が何とも楽しそうに太鼓をたたいている姿はとても印象的だった。明日はお祭りだ。祭りの朝は早い。4:00起床、4:30集合、5:00作業開始だ。4:30に祭り事務局長及川さんのおうちへ。及川さんはソフトテニスの愛好家で、多くの大会で好成績をおさめているらしい。陸前高田はソフトテニスがさかんな土地なのだ。軽トラで会館へと向かう。東北での荷台移動のコツはおしりをなるべく浮かせておくこと。地面がごつごつしているため振動でたたかれるととても痛い。朝の準備は山車の飾り付けだ。昨日初めて見た時は想像もつかなかったが会館の中にあるたくさんの飾りがすべて山車に装着される。色鮮やかに染められた紙飾りやちょうちん、星、花飾りなどとても艶やかになっていく。飾り作りは1ヶ月以上毎日会館に集まって行っている。地区の人が集まって作り上げ、みんなで演奏し街をひきまわす。同じ方向へ向かう。まつりの真髄だ。出発は8:00。出発に合わせて集合だった外部からの学生やメンバーも集まってきた。チームカラーはオレンジ。橙色の半纏、シャツ、帽子、スタイルは決まっていないがみな同じ色をまとい山車にたかる。氷上神社の宮司によるお祓いが行われる。お囃子がはじまり山車は動きだした。祭りがはじまる。氷川神社を出てから地区を回っていく。太鼓と笛の音が鳴り響き、地元のおじいちゃんおばあちゃんが軒先に出てきて手を振っている。祭りを楽しみに笑顔で待っている人達の存在をとても嬉しく思う。山車をひく手にも自然と力が入って、みなにこやかに手を振る。素敵な風景だ。このうごく七夕まつりは、まだ60年程の歴史しかないようだ。現在では陸前高田の高田町のうごく七夕、気仙町のけんか七夕の二種類が旧暦の七夕である8/7に行われるがもともと元祖はけんか七夕だった。気仙町でおそらく江戸時代にはじまったけんか七夕は七夕同士をぶつけあい双方から綱を引き、優越を決める。七夕の構造もけんかが行われるためにかなりがっしりしているようだ。そのけんか七夕をもとに高田町でも七夕に山車がひかれるようになった。こちらはうごく七夕として高田の街を彩る。うごく七夕は構造こそけんか七夕より華奢な作りだが飾り付けは各地区工夫をこらし艶やかで美しい。ライトアップされる夜の姿はとても幻想的であるという。夜が楽しみだ。今では流失してしまっているが高田町の元中心の市街地に12の地区の山車が集まってくる。高い建物がなくなった街中では山車の存在はどこにいてもわかる。普段見ることのない高田の街のまつりの姿だ。各地区が囃子を奏で、街を色づけている。囃子手の子供達も本当に楽しそうだ。素晴らしいまつりの風景がリアルタイムに進行していた。

僕のありがとうをもう一度雄勝へ 7

石巻に向かっている、真夜中だ。もう何度通ったかわからないいつもの道。何度通っても、遠い。眠いが、今日は日帰りだ。もう、今日しかない。石巻駅に9時だったと思う。井波先生との待ち合わせ。僕は早めについていた。井波先生との再会だ、桑浜へ行くのは2回目。やっと実現した一歩だった。2月15日前回の会津から約2ヶ月経っていた。4月28日のお祭りへ向け、スケジュールは迫ってくる。神輿の状態も踏まえると、時間がないのはみなわかっていた。きっと一番わかっていたのは先生だろう。次の日も予定がありながらギリギリの中訪れてくれた先生にただただ感謝します。先生と僕は二人エスティマに乗り桑浜に向かった。2月の雄勝に雪は残ってはいなかったが、まだ寒い。文久3年(1863年)の製作の記録が残っている以来、一度山形に修復に出しただけで、今回の修復は2回目だ。150年の歴史の中で2回目。この瞬間の最初の1ページは、町の人にとっては大事件だろう。もう一度漁師の運転する軽トラで、僕らは山道を下った。この時もすでにたくさんの人が神社には到着していた。神輿庫を空ける。神輿には大きな布がかぶせられている。  とにかく大きいですよ。先生にはそれだけを伝えてあった。軽トラで通った山道はやはり無意識に神輿の大きさを錯覚させる。 これです。神輿の全貌が見えた。やっと先生に来てもらえた。僕にとっても嬉しい瞬間となる。先生は採寸したり、細かい部分の写真をたくさん撮っている。前回わりとじっくり見たつもりではあったが、先生とともによくよく見るとやはり細かい傷みは多い。漆の状態や、下地。そんなところも含めて確認していく。先生は漆を一部はがして、ライターで燃やす。 ちゃんと漆だ。正直、先生の目でも化学塗料なのか漆なのかは見ただけではわからないらしい。こうやって燃やしてみることで確実にわかる。漆の匂い、といわれてもあまりなじみはないのだが化学塗料の匂いではなかった。本物の漆がきちんと塗られていた。 なるほど、、僕らは 憩いの家 に戻った。憩いの家は桑浜字羽坂にある集会場だ。建物はわりあいと新しく、きれい。僕たちが戻ると、ごちそうが用意されていた。浜の人の精一杯の気持ちであった。たくさんの貝、ウニ、魚。僕と先生は会長さんの前に招かれ、最大限のもてなしを受けた。会長さんや浜の人達のたくさんの気持ち、震災前の祭りを復活させたいという思い。浜の人達は楽しそうに宴を囲んでいたがその空間には人々の多くの思いがあふれていた。 先生、本当にお願いしますね。何度も何度も重ねられる言葉。浜の人達の思いは強い。僕らは最高のもてなしを受け、先生とともに憩いの家を後にした。会長さんや何人かの顔なじみの役員さんと固く固く握手を交わした。僕らは仙台へ向け車を走らせた。帰り際先生と様々な話をする。今回の仕事は正直、先生にとっても簡単ではない。もうやるしかないよね、と言ってくださっていたが僕も信じるしかなかった。今度雄勝に行くのは、神輿を取りに行く時だ。

僕のありがとうをもう一度雄勝へ 6

会津若松。雪深い里だ。町の中でも一晩で真っ白になる。古く細い町並みは歴史と人の営みを感じる。ものづくりの文化が多く残り、会津漆器、藍染めの工房が町に普通に残っている。ほのかに照らされた冬の会津の建物はどこか艶かしい。僕らはその中にいる。会津の町を作るディープなメンバーと深い歴史とその歴史と遊び心を交えたこれからの会津を肴に地酒を酌み交わす。 話は、聞いています。井波先生。 実際に見ないとわからないってのが正直なところかなー、でも多分なんとかなるんじゃない? 今すっげえいそがしいんだけどね 笑こんな感じ。正直あまり深く話は出来なかった。先生は忙しいようで、すぐ帰ってしまったからだ。でも握手は出来た。僕はこの握手で何度も人と繋がってきた。 どうしても、直したい。祭りがやりたい。その思いが伝われば。僕らは会津若松を後にした。その夜は友と夢を語りあった。肴は、尽きない。

僕のありがとうをもう一度雄勝へ 5

宮原克人先生。筑波大学芸術学群、木工の先生だ。先生は木曽の漆職人の家の生まれ。生粋の漆師。坊主頭でいつもニコニコしている先生に久しぶりに連絡してみる。もともと先生との縁は仲良しの同級生の担当教官だったところからだ。彼女は木の木目を様々な糸で縫う、という作品を作っている芸術の生徒で、現在横須賀佐島に在住し活動中だ。以前雄勝の石に漆をぬったらどうでしょうかと相談したことがあった。 雄勝の神輿、直せますかね?物語は進行する。ここで終わったら、そこまでなのだ。「宮原先生お久しぶりです、藤原です。実は石巻雄勝町で、被災しながらも残った神輿があるのですが、漆がはがれてしまい直すことができるのかどうか見て欲しいと言われたのですが僕はあまり漆の知識がなく実際に見たとしてもわかりません。そこでもしよければ先生にご同行していただき様子を見てもらえないかと思うのですがどうでしょうか?出来れば今月中に行ければよいのですがと思っているのですがご検討いただければ幸いです。よろしくお願いします。藤原」ここに原文がある。今見返すとあまりに不躾で唐突だった。逃してはいけない一瞬は音もなく過ぎ去って行く。先生の答えは、こうだった。(抜粋)「藤原君 返信遅くなりました。 芸大の先輩で会津大学短期准教授の井波先生に、この件を伝えました。 神輿を見て判断する事は僕でもできそうですが、 筑波には、漆の講座もなく、職人さん達もいません。 今できそうな事は、宮原と井波先生で現場に伺い、 調査しておくということでしょうか。 神輿の写真等があったら送って下さい。」運命の矛先は会津を指し示していた。会津は無二の友達のいる場所だ。縁が少しづつつながっていく。写真を送り、井波先生と連絡が取れると僕は会津へと向かうことになる。それもまた突然だった気がする。僕はその時東北にいて、福島県立博物館学芸員の先輩が呼んでくれた。 漆の芸術祭の報告会があるんだけど、井波先生も宮原先生もくるよー、来れば? 行きます!万事こんな調子だ。奇跡は待っていても起こらない。僕はどうしても井波先生に会いにいく必要があった。初めて訪れる県立博物館。もう雪が舞っていた。僕は友人谷津君に連絡し、合流して一緒に参加することにした。 久しぶり、また太ったな!あいさつはいつも同じだ。学生時代円盤投げを競技にしていた彼の体はいつみても大きい。僕の訪問はほとんど突然だが、いつも快く家に泊めてくれる。大事な仲間だ。宮原先生がいた。僕がくることは知らなかったようだ。 あれ?どうもどうも、久しぶり!会津での再会。連絡はしていたが会ったのは1年以上ぶりとなる。 井波先生はあとでくるみたいだよ!井波先生は公演中に来ていたのだが終わってすぐ帰ってしまった。ここまで来て話せないのはあんまりと、宮原先生が電話をかけてくれた。 終わった後の飲み会にちょっと行きますー!先生に会える。僕も友人も飲み会に誘われて混ぜてもらうことができた。ただし二人とも車なので飲むのはウーロン茶だ。会津、むぎとろ。なんとも風情漂う店の二階が会場だった。一階は地元のおじちゃんおばちゃんが徳利を片手に盛り上がっている。むぎとろの名物はその名の通り麦とろご飯だ。出てくる料理は会津の郷土料理ばかり。  食べてみなんしょ と言いながらビールとともに華やかではないが大将の心がこもった料理がたくさん運ばれてくる。机を囲むメンツも会津に根差したひとくせありそうな人ばかりだ。井波先生に会う前に会津弁が飛び交うその空間を楽しんでいた。話題は会津、漆の芸術祭の今後について。漆の里、会津。ここに雄勝の神輿を持って来れるのか。井波先生が、来た。

小田原のご縁 3

小田原のお神輿は「小田原流」という独特な神輿の担ぎ方をします。木遣り唄を唄う、走る、合体する。独特でアグレッシブな神輿なんです。僕の同級生も、木遣りの唄い手。木遣り唄は短い唄ですが唄い手は神輿の前に出て高らかに唄い上げ、担ぎ手は唄に合わせて掛け声をかけます。歌詞にはたくさん種類がありますが、そのひとつを紹介。(カッコ内は掛け声です)おいっさー こりゃっさーそーりゃんえー (はっ)私ゃ小田原よー (そらよっとこせーのー)そーりゃ 荒波育ちぞ よーいとなーこんな感じです!この後神輿がご祝儀をもらった各家に突っ込んでいき、威勢良く盛り上げます。今日初めて担いだし青年達は神輿の重さや威勢のよさ、熱い雰囲気に圧倒されています。神輿が来るのをとっても素敵な笑顔でまっているおじいちゃん、おばあちゃん。子供を連れたお母さん、お父さん。 俺、唄う!そういって前に行く地元の青年。お世話になっているからと慌てて出てくるその姿がとても印象的。 おっきくなったのねえ、ありがとうね!少し恥ずかしげに笑顔で返す青年の姿は、紛れもなく小田原四区が育んできたあたたかな1ページでした。お世話になった近所のおばちゃんおじちゃんにかっこいい姿を見せたい。そんないじらしさはとても純粋で爽やかなものでした。小田原という町の大人達が子供達をあたたかくあたたかく育てていったのでしょう。神輿が歩いていくたび増えていく笑顔の交流がひとつひとつ町の魅力を紐解いていくのでした。渡御は夜まで続きます。ちょうちんには灯りがともり小田原の駅前を神輿が走り、興奮は最高潮です。肩の痛さやのどの枯れ、そんなことも忘れえいさ、こりゃさと声を張り上げます。最初は少し恥ずかしがっていた新入りの子達もいつしか一体となって大きな声を上げている。お神輿の力ですね!重いものを若い人からおじいちゃんまで一生懸命担ぎ上げ、町を回る。だんだん声が出なくなってくれば仲間が替わってくれる。だんだん神輿が下がってくればえいっと棒を持ち上げる。すぐ横の人と交わす会話。きついな、もうちょいだ。無言のウインク。同じ半纏を背負い、同じ神輿をともに担ぐ素敵な仲間達。そこで生まれる生の心の交流はまっさらでまっつぐ。その空間にいる仲間としてあたたかく受け入れてくれた素敵な人達が僕は大好きで、また必ず担ぎたい。そんなお神輿が小田原にありました。僕の宝物の1つです。その夜は地元の青年と、俺の同級生と一緒にスナック ファンファン に行きました。いかにも、という昭和テイストなスナックで、イケイケのママさん姉妹がふたりでやっています。6坪ほどの空間は壁も天井も真っ赤なベロア張りで、外にはローマを思わせる大理石風の彫刻、重厚な扉。地元の青年がよっぱらってママさん妹と 大都会 をデュエットしていました 笑華やかではないけれど、なんとも言えない人情あふれる空間。閉店までさんざん飲んだあげく、2日目のお祭りへと続いていきます。

僕のありがとうをもう一度雄勝へ 4

雄勝の帰り、僕たちは嬉しいお土産をもらった。20個近いアワビだ。  今年はあんまりとれなくてねえ、これだけだけど。僕らのために、船を出してわざわざアワビを取ってきてくれた。 よろしくね。固く握手をして、僕らは車を走らせた。雄勝。誰もが一度訪れるだけでその魅力にとらわれてしまう場所だ。全て流されてしまったけれど美しい海があり、山があり、当たり前の人の営みがある。決して非日常の珍しさや刺激に魅力を感じているのではない。海外旅行や観光地にいった感覚とはあまりにも違う。僕らは祭礼復活の登場人物であり、ともに考えるメンバーなのだ。僕に役割が与えられた。神輿の修復、祭礼の復活。たくさんの人の思いが集まれば奇跡は起きる。僕はそれを知っていた。今日出会った人達にお祭りを通じてもっと元気になってほしい。会長に最高の祭りをプレゼントしたい。そんな思いを胸にとっても爽やかな気持ちで東京まで走っていった。一緒に行った仲間は疲れていたようだけど、みんなずうっと笑っていた。時々真面目な表情になり、今後を考えた。東北で出会う人達は誰もが笑顔で迎えてくれる。だけどみんな町を失い、大切な人を失い、生活や家を失った。そしてみんなが楽しみにしていた祭りさえも奪っていったのだ。僕はお祭りが大好きだ。お祭りが大好きだから、神輿が大好きだから、奪われる悔しさや悲しさが苦しいほどに理解出来た。ピカピカになったお神輿。神楽舞台。たくさんの人が神輿に集まり、3年前のお祭りを思い出し、大声を上げ、汗をかきながら担ぎ上げる。周りにいる人はみんな笑顔で、子供からおじいちゃんおばあちゃんまで楽しそうにしている。そんな情景が僕に浮かぶ。最高に素敵なお祭りがしたい。神輿自体の修復は漆の経験がない僕には出来ないから。僕はお世話になっている漆の先生に連絡してみた。

小田原のご縁 2

小田原四区町会神輿の下田さんは、書道の先生です。僕らは下田さんの教室に上がらせて頂き、ビールを飲んでいました。下田さんが神輿を担ぐ人にくれるプレゼント。譽 ほまれ、と書いてあります。冠は輿を表しており、みんなで一つのものを持ち上げる、という形をした字だそうです。まさに神輿にぴったり!前回来たときは祷 いのり という字でした。僕はそれをいまでも大切にしていて、彫刻し、塗料を塗ってお祭りの時つけさせて頂いています。下田さんにそれを見せると、とても喜んでくれました。 かっこいいなあ、こうやって使ってくれるなんて本当に嬉しいよ!下田さんが喜んでくれて、僕も大事にしてきた甲斐がありました。ひとつのものを大事にすることはとても素敵なことですよね。少し時間があったので、小田原をお散歩しようとして、神輿の前を通りかかると、会長の小野さんにつかまって、 着替えて、景気付けすっぞー!ということでさっさと着替えて小野さんとビールを飲むことになりました 笑さっきの子供がボールを抱えて つまんないなー と甘えてきます。一緒に来た若い二人に遊ばせ、半纏を来て地元の子供と遊ぶ姿はもう祭りの一員です。そんな風景が好き。お昼が近づき、そろそろ神輿も上がります。3年ぶりの小田原神輿。とてもワクワクしてしまう祭りの前。今日は最高にいい天気です。

僕のありがとうをもう一度雄勝へ 3

白銀神社の本殿は驚くほど立派だ。田舎の小さな神社とは思えず、とてもきれいに整備されている。ここの人達が本当に大事にしているのがすぐにわかった。僕はこういう場所がとても好きだ。神輿の小屋は本殿のすぐ隣にある。閂がかけられ、役員のおじいちゃんが開けてくれた。神輿庫を開けるのも久しぶりのようだ。地元の人はどこか嬉しそうでもある。比較的新しい木の建造物だがしっかりと作られた観音開きの扉を開くと、布にかぶせられた神輿がそこにあった。 大きいな・・・。最初の感想はそれだった。神輿は想像していたものよりかなり大きい。布がかぶせられた状態でも伝わってきた。あの険しい山道を歩いていくのだから、かなり小さめのものであることを無意識に想像していた。布がはずされ、全貌が明らかになる。静かに佇む神輿。秘境雄勝のまぎれもなく最突端である白銀岬にきらびやかな神輿がある事実に僕は単純に感動し、圧倒されていた。そこには脈々と受け継がれてきた人間の気持ちが積み重なった深く豊かな歴史があった。パワースポットという言葉では捉えきれない、この場所の力。爽やかで力強いエネルギーの塊が神輿から風となって吹き抜ける。僕にとっての大きな1ページへの扉でもあった。一見してあまり古いものではなさそうだ。というより、文久三年に納められたとの記録があるらしく(1863年江戸時代、薩英戦争が会った年だ)神輿自体は古いのだが一度補修に出したのが最近のようであり、本体は古いのだが表装はそんなに古くない。屋根にベニヤが張られていたり中の柱がボルトでとめられていたりしている。そしてこの神輿には芯柱がない。ボルトで止められているから成立する構造なのか、御堂の中は驚くほど空っぽだ。破損箇所は主に欄干。神輿を激しく揺さぶるため、どうしても鳥居や欄干に肩が当たってしまうようで、折れてしまうらしい。何カ所か折れている部分や漆のはがれが見られた。欄干だけでも数百の部品で成り立っている。補修は大仕事だ。 うーん、結構壊れていますね。補修となると全部分解して多分塗り直すことになると思うので簡単ではないと思いますが相談してみます・・・。その程度の返事しか出来なかったが町の人はニコニコして祭りの自慢をしている。  この道をさ、大きな声出してみんなで担ぐんだ。それで色んな家を回って神輿が暴れるんだ。チョーサイ、ヨーサイってね。僕らは公民館でお茶を頂いたりして、町の様子やお祭りの映像などを見せてもらった。浜の人達のお祭り談義が始まる。映像見て、この子はどこの子だとか、今はこんなに大きくなったとか。あら、私が映ってるわ、楽しそうねえ、ここで転ぶんだよなー。そんな言葉が飛び交っている。映像から浜の人達に視線を移すと、みんなとても素敵な顔で祭りの様子を見ていた。 本当にみんな楽しみにしていた大好きなお祭りだったんだなあ。僕はこうやってどんどん心を動かされていった。

小田原のご縁 小田原大稲荷神社祭礼

ゴールデンウイーク後半。最高の天気でした。朝7:00。面白い縁で、前の日であったばかりの18歳の少年二人を連れ、つくばを出発しました。若い二人に理由なんていらないみたい。  面白そうですね!それで決まってしまいます。窓を空けると吹き抜ける風があまりに気持ちよく、これから小田原へ行って何年ぶりかに会う仲間達とともに神輿を担ぐ興奮があまりに爽やかで嬉しくって!僕が小田原のお神輿を一番最初に担いだのは2010年。隣に住んでいた大学時代の仲良しの同級生が呼んでくれました。彼が神輿をやっているなんて最初は全然知らなくって、信じられなかったけど、ただ単純に一緒に神輿が担ぎたくってあのとき僕も小田原へ行ったのでした。あのときも確かとてもいい天気で、優しく地元の人が受け入れてくれて。小田原がすぐ好きになったのを覚えています。まだ同年代の祭り野郎たち。あれからどうなったかなあ。故郷へ帰るようなそんな気持ちが僕に生まれてきます。この日は早く出たのが幸いで、お昼前には到着しました。まだお神輿の準備をしているところでした。日陰で休んでいるおじいちゃん達。その周りでせかせか動きながら楽しそうにおしゃべりしているおばちゃん達。ボールを投げ合って遊ぶ小さな子供、そして車あぶねーよー!と叱る日焼けしたおじちゃん・・・お祭りの雰囲気です。たくさんの世代が当たり前に一体となって神輿を囲む風景。今回も最高のお祭りになるな、という予感。 おはようございます!以前お世話になった藤原(あのときはまだ藤原でした 笑)です! 今年もよろしくお願いします! おー!藤原君!久しぶり!元気だったー?今年もよろしくね!会長さんも、一緒に担いだおっちゃん達も、同世代の子達もみんな僕のことを覚えててくれました。嬉しかったなー!とっても温かい場所。これがお祭りなんです。同級生の可児君(キャ二イ)とも合流して、とりあえずビール。18歳の少年達、久保君(くぼちゃん)と大橋君(てっぺー)もちょっと緊張していましたが、お祭りの一員となっていきます。