明日襷のブログ

ベルリン,雨,お神輿

2017/06/06 ベルリン神輿

仲間が,いる。 ここベルリンに,お神輿があって,集まって来た。 僕が全国の祭りをまわり,出会った仲間。 どしゃ降りの雨の中で声張り上げて担いだ神輿。 最高に楽しかった。 こんなシーンが,さらに次世代へ続き,今小さな子供達が神輿に肩を入れるまで,僕らが繋いでいかなければいけない。 ベルリンのお神輿も,日本のお神輿も,僕らが未来を創っていく。 ベルリンで出会った少年が,いつか日本で神輿を担いでみたいと言ってくれた。 彼らの夢が叶うかどうかは,僕らの行動にかかっている。 僕らは,祭りの未来を創っていく作業をしている。 このシーンと思いを,当たり前に未来へ。 次は,フランス。

拝啓,祭人へ

2017/06/02 ベルリン神輿

「ベルリンの神輿で私たちが担ぐのは,何という神様なのか?」 あるドイツ人に聞かれた。 《祭のはじまり》 人々が祭を始めたのは,いつ頃だろうか。 おそらく,ヒトが社会を作り始めた頃から,祭は存在していた。 世界中どこへ行っても,パプアニューギニアの原住民でさえ,祭を行なっている。 とすれば,祭は本能的な人間行動のひとつであり,コミュニティ形成時の社会的システムなのだろう。 その祭が,消えてしまう時代が来た。 数百年,縄文時代からだとすれば数千年以上,我々の先祖は祭を続け,守って来た。 幾度も来る大きな時代の波の中でうねり,戦い,変化しながら現代に残っている。 そこには,命がけで祭に臨む「祭の男」がいたはずだ。 次世代に残すべく,何度も訪れる時代の変化に負けず,その価値とノウハウを継続し続けて来た。 しかし,現代。 おそらくあと10年で,数千の祭は数百年の歴史をストップさせるだろう。 時代を生きた先人の情熱も,無言のまま伝達を終わらせてしまう。 《今,ベルリンで》 僕は今,ベルリンにいる。 そしてまた,神輿が上がる。 祭を創る,という事は大きな責任と凄まじいエネルギーが必要だ。 そして,祭文化の中に内在し,核となるエネルギーの本質の中心を捉えていなければ成立しない。 僕の20代は,ずっとそれを探っていた。 「神輿で担いでいるのは,何なのか」   僕はずっと,この答えを探していたのかもしれない。 多分,最初の問いには,それがベルリンで無くても,ずっと僕には答えられなかった。 《神様の名前》 日本の神様に名前がついたのは,約1300年前,古事記が編纂されてからだ。 その前から祭が行われているのだとしたら,祭の最初の一ページに,名前がついた神様は存在しない。 それでは,神様とは何なのか。 僕らが神輿として担ぎ上げ,一年に一度行なっているのは何のためなのか。 その明確な答えが見い出せなければ,ベルリンで神輿は上がらない。 答えはここにあり,答えはここで創る。 まだ,彼らに最初の質問の答えを担ぐ神輿で示すのには時間がかかる。 しかし必ず伝える事は出来るはずだ。 神輿の中にある「存在」は,どうやって力を得て形作られて行くのか。 1300年間捉われて来た日本人の祭をもう一度取り戻すために,現代に残る祭の姿からその本質を抽出し,力強く次世代へ伝えて行く。 神様に名前が付く前に,祭りの中心にあったものを。 《次世代への選択》 祭を継続するか,無くしてしまうか。 それを選択するのは現代を生きる我々である。 数百年の伝統も,数多の情熱も,継承するかどうか,今,選択しなければならない。 選択するということは行動するということだ。 僕には,継承し続けなければならない祖父の神輿がある。 故郷の横浜春日神社,そしてベルリンに。 ベルリンで神輿が上がるのだから,日本でも神輿を上げ続けることは出来るはずだ。 神輿を上げ続けたいなら,上げ続けるための選択を行動をすればいい。 祭を無くしたくないなら,無くさないための選択をすればいい。 修飾するのではなく,本質を射抜けば,あとは祭の力に任せればいい。 ここベルリンにも,神輿の前で顔を輝かせる子供達がいる。    

ベルリンの朝

2017/05/30 ベルリン神輿

朝5時に目が覚めた。 まだ起きていない体を気にしつつ,少しづつ慣れ始めたベルリンの生活と日常の感覚のズレを僕の脳が修正していく。 今日で1週間が経った。 同じ部屋の仲間たちはまだ寝ている。 まだ昨日日本から到着したばかりの彼らは,時差ボケと疲れから,ぐっすりと眠ってしまった。 僕はゆっくりと起き上がり,少し顔を覗きながら横をすり抜けていく。 僕の足音よりも寝息の方が大きく聞こえた。 それでも物音を立てないように静かに靴を履いて,ゆっくりと玄関を開け,僕は外に出た。 ベルリンの朝。涼しい空気をめいっぱい吸いたくなる。 真夏のように太陽が照る日中を思うと,朝の空気はいつもより緑が嬉しく,風が優しい。 昨日道に迷って歩き回って出来た靴ズレを少し気にしながら,僕はゆっくりと駆け出した。 宿泊しているアパートのすぐ近くに,川が流れている。 ベルリンの地形は平坦なので,水は止まっているように緩やかだ。 川沿いには,たくさんの並木が青々としている。朝は早いが,ぽつぽつと人の姿は見える。 途中ですれ違うランナーたちは一生懸命で目があったりすることはないが,新しい場所で走っている高揚感から,僕は心の中で小さく挨拶をしたくなった。 息を弾ませ,足を進める。そんなに長い距離ではないが,豊かな時間が流れている。 穏やかなベルリンの川に浮かぶ白鳥が,わずかな流れに身を任せて僕の横を過ぎていく。 僕は立ち止まって,川のすぐ脇の開けた場所で体を伸ばして深呼吸した。 川を覗き込んでも水の底は見えないけれど,走りながら見ているよりも流れがわかる。 さっき走った向こう岸で,何人もランナーが走っている。 足元には,ビールの王冠がいくつか転がっていた。 昨日も天気が良かったから,ここで日向ぼっこをしながらビールを飲んでいたのだろうか。 昼間,川から反射する陽の光は眩しいけれど,川に足を投げ出してビールを飲むのは贅沢な時間を過ごせそうだ。 ベルリンの人は朝,よく川べりに座っている。 新聞や本を読んでいたり,友人と楽しそうに会話していたりする。 僕はなんとなく見慣れないけど,自然なその風景を横目にスタート地点へ向かってまた走っていた。 カラッとした気候なのでそんなに汗はかかないが,戻ってシャワーを浴びたら朝ごはんを作ろう。 冷蔵庫の中に残っている野菜のいくつかを思い浮かべ,僕は空腹の脳みそでメニューを考えていた。

映画「祭の男MIKOSHI GUY」

2017/05/14 神輿、祭

・もう,祭出来ないかもね。 「もう、祭出来ないかもね。」 僕の人生を変えたのは,この一言だったのかも知れません。 震災の年,2011年。 僕の祖父は亡くなりました。地元横浜春日神社の祭に人生をかけ,40年以上,ずっと祭を盛り上げ,続けてきた人がいなくなった。 祭の日,幼い僕はいつもたくさんの人に囲まれていました。夜のくじ引き,カラオケ大会,お神輿,その後一緒に遊んでくれるお兄さん。 そんな楽しい思い出がたくさん詰まった日。一年に一度の大切な日。 そんな日を無くさないために,僕はどうにかしなければと思った。 誰かじゃなく,僕が。 僕はじいさんの孫だから。 ・ひとりじゃない それから,たくさんの祭を訪れ,とにかくがむしゃらに神輿を担ぎました。。 何回も,何回も。声枯れるまで,体が動かなくなるまで。 祭のことを,神輿のことを,誰よりも知らなければいけない。 一人の男がどうして人生をかけて臨んだのか。 本当の意味で継承するために深奥にある祭りの魅力を,力を。自分なりに探っていたんだと思います。 僕はたくさんの人に出会いました。 日本各地,ご縁がある祭りに精一杯,「それでも」行く。 そこには必ず,祭りを愛し,祭りを作り上げて来た素晴らしい先輩方がいました。 そして僕には仲間が出来ました。祭りを背負って行くのは,僕だけじゃない。 じいさんが命がけで作って来た祭りを継承して行くことは僕にとってとても大きな課題です。 本当に不安でした。だけど僕はひとりじゃない。 それは勇気に変わっていきました。 ・ヨーロッパで上がる神輿 お神輿を,フランスへ。 想像もしていなかった挑戦でした。確かに外国でお神輿を上げるのはワクワクします。 しかし,そのためには神輿,祭りというものの正体を掴み,しっかりと扱えなければ海外,特に人の気質も宗教観も違うヨーロッパでは神輿を上げることは出来ない。 神輿は何故,人の気持ちを高揚させ,連帯を産み,さらに美しく動くのか。 神輿を上げるのは,僕。 僕はさらにさらに深く,祭りや神輿の本質を目指して潜って行くことになります。 ・日本もフランスも,同じ フランスで神輿は上がりました。 美しく,激しく,豊かに。 神輿とは,祭りとは。その答えなんてわかっていなかった。 だけど僕の中にあった根拠の無い仮説を証明したかった。 理屈でなく,現象で。 誰もやったことが無いのだから,やってみて証明して行くしかない。 答えはきっとその向こう側にあります。 神輿を担ぎ上げた後,担いでくれたフランス人の溢れるような笑顔,連帯,その空気。 僕が小さな頃から知っていた神輿を担ぎ上げた後の最高の風景と何も変わらなかった。 これが神輿の力,祭りの力。 僕は祭りの持つ底知れない大きな力の核に少しだけ触れることが出来た気がしました。 ・僕が祭りに恩返し出来ること 僕にこんなにもたくさんの仲間と,経験と,最高の瞬間をくれた祭り。 先人が命がけで守り,伝えて来てくれた祭りに感謝し,僕は残された命を祭りへの恩返しに捧げようと思っています。 僕の祖父は最後まで祭りを愛し,その人生をたくさんの素晴らしいご縁に囲まれて終えていきました。 今までがむしゃらに祭りにぶつかり,探り続けて来た。 でも僕は少しだけ祭りの本来持つ大きな力に近づくことが出来たような気がします。 これから,次世代にどんな祭りを残せるか。 残念ながら,祭りを含めた日本の風景はだんだんと消えていっています。 受け継がれた志は,消えてしまうかも知れない。 あと30年かけて,どんな祭りの未来を残せるか。 それはこれからの選択にかかっています。 より良い未来を作るなら,より良い選択をし続けるしかない。 祭りの日,あんなにも楽しそうに笑っている人たちの風景がずっとずっと続いていきますように。...

2016年の感謝の気持ちを

2016/11/15 神輿、祭

今年も,祭りのシーズンが終わった。 2月,バンコクJAPAN EXPO。 バンコクでもう一度,みこしを上げた。日本のことを学ぶタイの学生たちとサイアムのパラゴンホールを蹂躙し,汗だくになって駆け抜けた。 日本での最初の祭りは,岐阜県手力雄神社だったか。 炎の祭典。 今年も髪の毛を焦がしながら,爆竹の噴煙の中を声枯らして走り抜けた。 それから,山梨県美和神社。 数年前の山梨県の雪害の際にボランティアの仲間を通じてご縁ができたこの祭り。 今年も快く受け入れてくれた。 みんなで顔に落書きして,また思いっきり担いだ。 やっと,やっと少しづつ里の人たちの仲良くなった。 それから,石巻雄勝の大須と桑浜の祭り。 僕の大切な大切な祭り。 震災をきっかけに,本当に素晴らしいご縁を頂いた。 海に浸かり,神輿にぶつかり,腕が上がらなくなるまで,声が出なくなるまで! 叫び,担ぎ上げた。 ゴールデンウィークに入って,岡山備前国総社宮。 昨年の感動的な竣工祭から2回目の神輿渡御。 北山神社から頂いた古いけど立派なお神輿を担ぎ上げた。 たくさんの「ともだち」が,いた。 そして,小田原大稲荷神社。 そこにはずっと大切にしている素晴らしい仲間たち,先輩がいる。 今年もたくさんの後輩とともに小田原4区の神輿を担いだ。 小田原木遣りを歌いながら・・・。 そのあと僕はヨーロッパへ。 カルナヴァール・デア・クルトゥーレン。 100万人を超えるヨーロッパ最大級の祭典。 祖父の神輿が最高の舞台で上がった。 ベルリナーたちと本気で作り上げた奇跡。 さらに1800キロのドライブを超え,南フランスダクスへと。 高校生たちと再会しもう一度神輿を担いだ喜びを忘れない。 僕は高校で高校生たちと本気でコミュニケーションし,笑アキレス腱を切った。 これで夏の祭りは絶望的・・・。 帰国してしばらくは今年は祭りを断った。 7月になると,つくばの小田祗園祭。 僕は見学するだけのつもりだったけど,目の前の大獅子に我慢できず足の保護用のブーツを履いて御神行に参加していた。 ベルリンから来たオーレルくんを連れて,北鎌倉八雲神社,浜降祭へも行った。 神輿は担げなかったけど。 それから郡上八幡徹夜踊りへ。 僕はあんまり踊れなかったけれど大好きな郡上の祭りにまた行くことが出来た。 お神輿をやっと担げるようになったのは,横浜杉山神社だったかな。 担げる,といってもなかなか足がまだ戻らなくて フランス神輿を一緒に担いだレオナくんとフランス以来のお祭り。 錦糸町の河内音頭ではベルリンの仲間たちがみんな集合して日本なのにベルリンみたいだったなあ。 たくさんの素敵な出会いもあった。 まつりつくばが終わると9月。まだ足の調子は戻らない。 9月はなんと言っても地元横浜春日神社のお祭り。 この日のために毎年多くの祭りを重ね,本気で取り組んで来た。 じいさんの神輿を一年に一度,何としても上げなければいけない。 たくさんの仲間とともに,今年も神輿が上がった。 秋になって小田原成田三島神社。 小田原の仲間とのシーズン終わりの祭り。 重くて大変だけど本当に楽しいお祭り。 10月はそこから毎週関西。...

[ベルリン神輿から南フランス神輿へ③]そこにおっさんはいなかった・・・。

2016/05/27 神輿、祭

おばちゃんと別れ,重い荷物に精魂尽き果てた二人。 最後の救いもいなくなって,川沿いの原っぱに荷物を投げ捨て倒れ込んでいました。 今日は野宿かーと荷物の中のテントを思い出して,汗だくの体を休めていました。 ちょっと休憩したら,僕はふと起き上がって,目の前の家の周りを歩いてみることにしました。 時刻は21時近く。暗くなってしまったら捜索は断念です・・・。 目の前の入り口から大回りして,反対側の入り口へ。 公園みたいな大きな敷地の周りを歩きます。荷物が無いから,足取りはさっきより軽く。 すると,なんと入り口にはJORDAの文字が! ここが,探していたおっさんの家でした。 僕は急いで勇ちゃんを呼びに行き,荷物を背負って門の前へ。 2年前のおっさんに,会えるかもしれない! ドキドキワクワクしながら「ボンジュール!ボンジュール!と叫びました。」 すると,夫婦が出てきます。 不思議そうに僕たちを見ていますが,いつもの感じで写真とメモを見せると,二人は笑顔に変わり,しきりに写真を指差して何やら言っています。 今までと明らかに違う反応! そして,僕らを招き入れてくれました。 公園かと間違うほど広い敷地の家。そこに2軒大きな家が建っていて,彼らが住んでいるのはそのうちの一軒です。 何となくおっさんに似てるおっさんと,その奥さん。 奥さんには少し言葉が通じたので事情を説明します。 するとどうやらおっさんに似たおっさんは探していたおっさんの弟で,(ややこしいですね) おっさんは今日は夜のカードゲーム大会に参加しているため深夜にならないと帰ってこないとか。 だけどやっとおっさんにたどり着きました!やったぜ! 頂いたラザニアは大変美味しくて,喉も渇いていたのでワインをごくごく飲んでしまいました。 おっさんはどうやら向かいの家に住んでいて,次男と二人暮らし。 大きな犬を飼っているようです。 そして,おっさんの名前は!!!DIDIE!!ディディエでした! 2年ごしにわかったおっさんの名前!そして辿り着いたお家! 感動に包まれながら僕ら二人は黒猫のムンムンと戯れて2階に寝てもらうのでした。 その日ぐっすり寝られたことと言ったら! 明日,きっとディディエが家に帰ってきます。。。  

[ベルリン神輿から南フランス神輿へ②]おっさんと耳を探せ!

2016/05/25 神輿、祭

さて!モンレジョ駅に何とか到着しました。 もう時間は18時半。フランスは21時過ぎまで暗くなりませんが,そろそろみんなお家へ帰る時間です。 僕らは2年前この小さな村で会ったかすかな記憶と一枚の写真を頼りに名前も知らないおっさんを探すことになりました。 昨日忘れた「獅子の耳」も・・・! 僕も,もう一人の勇太朗(以下勇ちゃん,ベルリンから一緒に旅してきた最高のともだち)も,大変重い荷物を背負って汗だくになりながら聞き込みを開始します。 おっさんの写真と昨日書いたメモを持って・・・。 僕らの作戦は, 1、まずおっさんを見つける 2、おっさんに昨日泊まった家に電話してもらって耳を返してもらう の流れです。 どうせ小さな村だからと駅から少し歩いてみても,まず全然人がいない! ちょっとしたスーパーに着いて聞いてみても誰も知らず,ヒッピー風のおっさんに意気投合した感じを出されて(特にしていないけど)とりあえず2年前見た風景を見つけに丘を上ります。 しかし想像以上に体力を消耗します。 すれ違う人に何回聞いても誰も知らない・・・! 小さな村だからって全員顔見知りというわけでは無いようです。(当たり前か) 少し道を間違えたりして手がかりが全然無い中時間ばかりが過ぎていき,もう8時近く! そろそろ暗くなってきます。 野宿を覚悟しながらも2年前泊まった教会を見つけ,祭りがあった市役所の方へ。 汗だくになりながら教会の角を曲がって真っ直ぐ歩いていきます。 前来た時は,ここにぶどうがなっていたっけ。少し期待しながら,季節が違うことに気づいてがっかり。 お腹すいたし,のども渇きました。 丘の上の広場に着くと,目の前はピレネー山脈です。 疲労困憊,意気消沈の僕らには残酷な美しさ。 ベンチに座り込み,荷物整理という名の休憩を始めます。 しかし休憩中も捜査は続行。 先程より少し真剣さが欠けますが通る人には必ずメモと写真を見せます。 エキュスキューズモア→メモを見せる→おっさんの写真を見せる→首を横に振る→メルシー がルーティーンになってきた頃,一人のおばちゃんが登場! 右手にミントと水を持った気の良さそうな散歩中のおばちゃんが,何やら協力してくれることになりました(フランス語なので雰囲気)。 多分!近くのお店の人なら知ってると思うから一緒に言って説明してあげるよ!と言っています。多分。 それからまた荷物を背負い,おばちゃんと一緒にピザの移動販売のおっさんに写真を見せると。 知ってる知ってる!と言っています。(多分) 彼の名はJORDA。名前がやっとわかりました。 おばちゃんがJORDAの家をピザ屋に聞いてくれて,何とか家が判明!(多分) なされるがまま,僕たちはおばちゃんについて行きました。 おばちゃんの懸命な聞き込みにより,何とかこの辺ではないかと言うところまで来ました! 門の前で考え込むおばちゃん。 多分ここだと思うんだけどなーっぽい雰囲気を出して門から奥のお家へと入っていくと,前から大きなシェパードが走ってきて,おばちゃんが慌てて逃走! 僕たちもおばちゃんのただならぬ顔を見て,逃走! おばちゃんが困ってしまっていたので,僕たち二人でこの辺で待ってみますっぽいジェスチャーをして,おばちゃんに10回くらいメルシーと伝え僕らは野宿を覚悟しました・・・。    

[ベルリン神輿から南フランス神輿へ①]モンレジョについた日

2016/05/24 フランス神輿

ベルリンから1800kmの道のりを走り,モンレジョに到着。 神輿を乗せた黄色のバンは,盟友ニコちゃんが運転し颯爽と帰って行きました。 しかし,その晩ニコちゃんから連絡があり,「鍵がない!」と。実は黄色のバンは鍵が回らないトラブルにより直結により動いていました。 翌朝,Ayalex Toshierのばあちゃん家の庭を見ると,鍵が落ちていました。 車は15時までに返さなくてはいけない!僕たちは急いでトゥールーズを目指します。近所のおばちゃんが車で送ってくれて,何とかセーフ。ニコちゃんに鍵を返すことが出来そうです。 しかし僕らは電車の車内であることに気づきます。 何と,獅子舞の耳が無い! 急いで車から降りたので,おそらくおばちゃんの車に忘れてしまったのでしょう・・・。 僕らはとりあえずトゥールーズを目指します。 駅近くのケバブ屋でwifiを拾い無事ニコちゃんに連絡。 長い別れだと思っていたニコちゃんともう一度再会でき,感動でした。 ケバブ屋のお兄さんは獅子に興味津々で,何度説明してもドラゴンと言い張っていました。 その後,もう一度アイテム「獅子の耳」を見つけにモンレジョへ。 2時間も時間があったので獅子を背負いトゥールーズを歩き回っていると街ゆくピエロに話しかけられたり(ピエロは敬意を払う時,帽子ではなく鼻をとるらしい)大きな教会の中では興味津々のアフリカ人に質問攻めにあったり楽しかったです。 それから僕らはもう一度列車に乗り込みモンレジョへ。 僕らのミッションは2つあって, 1、2年前モンレジョで神輿を上げた時に仲良くなったおっさんを見つけること(手がかりは当時撮った写真のみ。名前もわからない) 2、アイテム「獅子の耳」を取り戻すこと。 僕らは期待と,ちょっぴり不安を抱えて列車の中の南フランスのヤンキーの様子をちらちら見ながら約1時間半の道のりを楽しんでいました。 さあ,モンレジョに到着! おっさんと「獅子の耳」の捜索が始まります・・・!

ベルリンで神輿が上がった

2016/05/16 神輿、祭

ベルリンで、最高に嬉しい神輿が上がりました。 ベルリナー達の熱狂は、渦となって美しく力強い神輿の姿となっていました。 終わった後の直会では、みんな口々に 「来年はこうしたい!こうしよう!」 と話していました。 いつか神主さんに言われた、 「海外で神輿を上げるなら、来年もやりたいと思ってもらえる神輿の文化を伝えなさい。それが10年、20年と続いたら、日本人はそれを神様と呼ぶのかもしれないね」 の言葉が思い出されました。 祖父の神輿がベルリンのたくさんの人に担いでもらえて、最高の笑顔をたくさん作り出せたこと。僕は本当にこの神輿を、祖父を誇りに思います。 文化の力、祭りの力は素晴らしい。 日本人であることを誇りに思った最高の一日でした。 本当に楽しい祭りが終わって, 「日本にはこんなに楽しい祭りがたくさんあるんでしょ!本当に素晴らしいね!」と たくさんのドイツ人に言われました。 だけど僕は, 「祭りはたくさんあるよ,だけど今どんどん無くなっているんだ。そしてそれを守る人も減っているんだよ。」 と言いました。 信じられない!日本人はどうかしてるの!? と言った表情。 僕は自身の文化を大切にしなければいけないと心から思いました。 ベルリンでお神輿を上げることができて,本当にたくさんの笑顔に囲まれ,たくさんの人たちが神輿を肴に飲んだ日。 僕はより一層の思いで,引き続き日本の祭りの未来に貢献しなければと感じました。 これからもたくさんの人に祭りの楽しさを伝え,守る方法を模索していきます。 祭りのこころ,日本人のこころとは何なのか。 もっと真剣に考え,行動していこうと思います。 僕たちの次世代のために。 何を残さなくてはいけないのか,何を残してはいけないのか。 最高に楽しかった一日は,強く自身を律することになった一日でもありました。 TBSnews http://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye2774844.html

導かれた場所,すさみ町〜和歌山周参見王子神社〜 最終章,宮入りへ

朝,今日は周参見王子神社の本宮です。 昨日の宵宮の雨は止んでいました。 今日僕はお神輿を担がせてもらいます。 「お神輿」というキーワードで僕はどれだけのご縁を頂いたでしょうか。 この日のお神輿,僕は最年少です。 三日目になると,少しづつみんなとも顔馴染みになってきました。 「おはようございます!」と言うと,笑顔で返してくれる朝。 もう一度,神社へ向かいます。 神社には各町からだんじりや屋台がやってきていました。 小さな神社に,たくさんの人が集まります。 焼きそばや,フランクフルトの出店の前では,嬉しそうに子供達が集まっている。 僕も小さい時,あんな姿でした。 そんな風景が,今も更新され続けるすさみ町。 僕は下地の半纏を脱ぎ,神輿衣装に着替えます。 烏帽子と装束を着ますが,下に着るのは「タッツケバッチ」です。 はじめタッツケバッチとは何のことなのかよくわかりませんでしたが笑,和歌山の言葉で,祭り衣装の股引のことを言っているみたいです。 僕はお囃子をたたく「若衆」とは別に,衣装を着替えて下地のレジェンド達と神輿を担ぐことになりました。 皆,一年に一度のお神輿に備え,シャツの肩部分の内側にタオルを入れ,縫い付けてあります。 手作りでお神輿用に作ったんだろうな,と思うと少し微笑ましくなりました。 すさみのお神輿は特に掛け声はなく,談笑しながら担いでいきます。 神輿は海へ向かいます。 街中を歩いている時も,みんな家の前に出て,おばあちゃんと,おじいちゃんと。 笑顔で神輿やだんじりを迎えてくれます。 すさみ町下地地区は,全部で約600人程しかいません。 都会のお祭りの様に,我関せずと素通りしていく人なんて一人もいない。 僕は,人がたくさんいるわけではないけれど,ひとりひとり本当に楽しそうにお祭りを眺めている姿を,とてもうらやましく,そして美しく思いました。 町の人が大切に大切に守ってきた祭りに少しだけ関わらせて頂いている事を,とても光栄に思いました。 浜へ着くと,御仮屋が用意されていました。 前日の雨で,少し壊れてしまったんだとか・・・ ちょっとだけ傾いています。 御仮屋の中へ神輿を収め,神主さんにより神事が始まります。 「まなべっち!頼むよ!」 神主さんは近くの白浜から来ているそうですが,たなべっちと呼ばれています。笑 神主さんとこんなに親しいお祭りも珍しい。 知らないうちに,だんじりのみんなは化粧をしたようでみんなの顔が変わっていました。 「神社へ行って喧嘩しても,これで誰だかわからんやろ!」 若衆はさらに勢いを増しています。 神事が終わると,神輿の担ぎ手は,「金幣さん」のおうちの民宿へ。 「金幣さん」は祭りの総責任者で,毎年変わるそうですが文字通り金色の御幣を持っています。 美味しい海の幸を食べさせていただきました。 ここで,神主さんがなんでこんなに親しまれているのかがわかりました。 どうやら神主さん「まなべっち」は,大のお酒好きでいつもお祭りの間に飲みすぎてしまうようです。 「今年はちゃんとお宮まで行ってくれよ!」 なんて,冗談が飛び交っていました。 さて,食事が終わると大当番がまた迎えに来ました。 浜へ戻り,もう一度神事を行ってから神輿は神社へと向かいます。 神輿が動き出すと,みんな悪ノリして「まなべっち」にペットボトルに入った日本酒を飲ませます。 もうフラフラ。 途中でいなくなっちゃうし,休憩中寝そうだし,まっすぐ歩けていません笑 だけど,すさみの人たちは嬉しそう。 「こんな祭り,他にないだろ?俺たちも,神主さんも,一緒だ!」 ここに人がいて,祭りがある。 すさみの神様は,こんな風景を数百年も見守ってきたのでしょう。 僕らはもう一度神社へ向かいました。 フラフラの神主さんに連れられて・・・。...