明日襷のブログ

【2017ヨーロッパ紀行文⑥】クロアチアの駅

2017/07/13 ベルリン神輿

クロアチアについたのは,朝8時過ぎだった。 丘の向こうに,海が見える。線路の脇には小さな植え込みがいくつかあって,老夫婦が庭いじりをしている。 暖かく乾燥したヨーロッパの気候と風景によく馴染んだカラフルで華やかな植物たち。 青く広がる海からくる夏の朝のカラッとした風に吹かれていた。 目指すは,オパティアという町だ。 そこにvid君の父親の空手仲間が住んでいるらしい。 今回の旅のプランは,彼の船に乗り4時間かけて島に渡って釣りをしながらキャンプするといった内容である。 線路を渡ってよく手入れされた可愛らしい庭の間を通り抜け,僕らはバス停へ向かう。 坂道を下ると,スーパーがあり,僕らはそこで夜のためのビール(信じられないくらい大きなペットボトルに入っていた)と,船酔いが心配だというコム君の酔い止めを買った。 バス停は,スーパーの目の前にある。バスが来るまで,あと30分ほどだ。 ベルリンの盆踊りが全部終わったころ,夜10時を過ぎていた。 夜9時まで明るいので,提灯の明かりで盆踊りは出来なかったが,終わりに近づくとそこにいたみんなもだんだんと名残惜しくなってきたようで,休憩を何回か挟んで汗だくになるまで踊っていた。 日本人も,外国人も。 盆踊り,こんなに楽しいのに,日本だと何故みんな踊らないんだろう。 どうして無くなってしまうんだろう。 実際に,僕も最近まで地元の盆踊り踊っていなかったし,他の地域で踊るなんてのは考えもしなかった。 多分,どこの盆踊りにいっても踊っているのは着物を着たおば様方で,若い人たちは踊りを踊るよりも焼きそば食べながらビール飲んでいる。 日本人が忘れてしまったのは,踊り方じゃなくて楽しむというマインドなんじゃないか。 どんな国のどんな文化も,だいたい心を豊かにすることを目的としている。 喜びや楽しさを体で表現できることは,豊かな文化があると言える。 沖縄の人は,嬉しいことがあればすぐに歌うし,宴会で盛り上がれば踊り出す。 政治家が当選した時も,その喜びを踊りで表現している様子がテレビで中継されている。 恥ずかしいとか,みっともないとかじゃなく,思い切り今を楽しむこと。 そんな気持ちを,忘れてしまったのかな。 しかし,色んな場所で気軽に盆踊りをしているうちに,本当はそうではないような気もしてきた。 実はもっとみんな踊ってみたくて,もっとみんな楽しみたいのだ。 「ちゃんと」しなきゃとか,「誰かが見ている」とか。 優等生でなければいけないという先入観が,一歩踏み出すことを拒んでいる。 確かに,上手に踊れた方が,上手に担げた方が楽しい。 だけど一番魅力的なのは,いちばん上手な人よりもいちばん楽しそうな人なんだと思う。 初めての祭りで,「とっても楽しそうに担いでましたね」と声をかけてもらえると,嬉しい。 上手な人がたくさんいるよりも,楽しそうに踊っている人がたくさんいる盆踊りをしてみればいい。 ベルリンの盆踊りも,みんな楽しそうだった。 輪が次第に大きくなって,みんなの声も大きくなって。 新しい仲間たちと,同じ踊りを踊り,同じ体験を共有すること。 それを実現させてくれているのが,日本の文化なのだ。 最後の曲を終えると,みんな最高の笑顔で讃えあっていた。 僕は提灯と紅白幕を外しながら,なんとかやり終えた安堵と,次の週に控えるお神輿の渡御を想っていた。  

2017ヨーロッパ紀行文⑤輪になって

2017/07/05 ベルリン神輿

リュブリャナ駅。客車の扉にかけられていた錠前が外された。 続々と,と言えるほど人はいないが同じ列車に乗る人達がホームの階段を上がってくる。 発車時刻は6時30分。早朝だ。 あくびをしながら退屈そうにしているおっさんや,自転車を一人づつ抱えているサイクリングで旅をするつもりであろうカップルなどがいる。自転車もそのまま持ち込めるようだ。 列車には落書き(ストリートアートというらしいが僕には落書きにしか見えない)がされ,ドアも自分で開けるスタイル。しかもホームが大変低く,階段を2段ほど上がってやっと扉がある。 荷物が多い人やお年寄りには大変だが,ホームと電車の間に落ちることは無いだろう。 僕たちは電車に乗り込んだ。 列車は個室がいくつも連なった構造になっている。 空いている部屋を見つけ,ひと安心。 目的地までは,約2時間半。世界の車窓から,スロベニア編を楽しもうと思ったが眠気の方が強く,さっさと横になった。 予定の時刻から10分ほど遅れ,やっと列車は出発した。 車輪がレールの上を走る振動を感じながら,僕は目を閉じた。 ベルリンの盆踊り会場。 準備は早めに終わり,たくさんのメンバーに恵まれたこともあって初めてのわりにかなり余裕を持って開場することが出来た。 14時〜21時という長丁場,太鼓の演奏なども挟みながらのイベントとなる。 浴衣を着たひとたちが,ちらほら集まってきた。 日本人もいるし,ドイツ人もいる。何より嬉しいのは,浴衣を着た子供達がたくさんいること。 一年に一回くらいしか着ないであろう浴衣を,この日に用意して着てくれている。 オープニングの挨拶を済ませ,早速盆踊り。 浴衣に着替えた日本人のメンバーたちを見本に,子供たちに踊りを教えていく。 炭坑節や,東京音頭など,ベーシックなものから,じゃこっぺ踊り,郡上踊りなど少しディープなものまで。 踊りやすい簡単なフリを厳選して,子供達と一緒に踊る。 親に連れられて踊ってるのか操られてるのかわからないくらいの小さな子供は,輪の中にいるが小学生くらいになると女子グループで会議が始まっている。 「えー、踊る?どーする?」「面白そうだけど、わかんないしー」 みたいな会話がされているような雰囲気を漂わせながら,3人くらいで遠巻きに見ている。 踊りの真ん中から横目で見ていると,たまに手だけ合わせてみたりしてて,可愛らしい。 しかしどうやら,輪に入らない原因は会場にもあったらしい。 会場には砂利が敷き詰められていたのだが,ちゃんと草履を履いてきていた子達には,間に石が入って痛いようだ。僕は日本から下駄を持ってくるのが面倒だったので,足袋を履いていて気にならなかったが下駄や草履を履いている他のメンバーも少し痛そうだ。みんな踊っていたが。 色んな子供達がいる。 我関せずと砂利で山を作っている子供や,お母さんの手を強く握り見慣れない盆踊りの輪をじっと見ている子供。 フリなどあまり気にせずオリジナルダンスを踊り続ける男の子。 様々だが,それぞれ盆踊りという非日常を楽しんでいるようだ。 僕らがこうやってわざわざベルリンに来て盆踊りやお神輿を行う理由はここにある。 幼い頃,盆踊りや縁日がとても楽しみだった。 踊りなんか踊っていないし,多分駆け回ってただけだけど,たくさんの人が集まって,出店でくじ引きしたり,友達と追いかけっこするのが楽しかった。 幼き記憶の中に祭りがある,それは日本人にとって大きな財産であると思う。 お囃子の音,浴衣や半纏,焼きそばのにおい,ちょうちんの灯。 それを見るとなんだかワクワクする気持ちは,子供の頃刻まれた原風景なのだ。 ベルリンにいる子供達に,そんな原風景を届けてあげたい。 目の前で一生懸命に踊る少年に,僕は記憶を重ねていた。      

2017ヨーロッパ紀行文④バナナと西新宿の親父の唄

2017/07/03 ベルリン神輿

ベルリンの朝は,早い。 というか,時差が関係しているのか勝手に早く起きてしまう。 来た頃は5時には目が覚めてしまうので,宿泊していた場所の前を流れる川に沿ってランニングしていた。 しかし,初日川沿いを進んで橋を渡りそのまま戻れば元の場所に着くだろ,と安易に考えていたら,知らぬ間に川は分岐しており道に迷った。 しかも,勘に頼って適当に戻ろうとするものだから,知らない町をぐるぐる周り,もうこのままベルリンのもくずになるんでないかと一時覚悟を決めたくらいだ。 3時間ほど当てもなく彷徨い続けた結果,やっぱり川に戻ろうと川沿いを歩き続けると何となく朝見た風景が目の前に現れ,無事戻ることが出来た。 日常にも,スペクタクルは用意されている。戻れてよかった。 ベルリンの盆踊りは,今年初の試みとなる。 ベルリンメンバーが去年の夏,錦糸町河内音頭で盛り上がり,開催することになった。 お神輿前のプレイベントとして,盆踊り。 大人も子供もみんなで踊っちゃおうという企画。 昨年,お神輿をベルリンにある日本語補習校(主に日本人の家庭向けに,現地の学校で学びづらい国語や社会などを学ぶ学校)に持っていったところ,たくさんの子供達やお母さんたちが来てくれて日本の文化を懐かしがってくれていた。 いろんな事情があってドイツに滞在する人たちが,日本に触れる機会を作ること。それをとても喜んでくれることを知った。 ベルリンで舞った獅子が,子供達の頭を噛んで,泣き叫ぶ子供達を見て大人たちが笑ってくれることを知った。 祭りが好き,というシンプルな思いが誰かの思い出を創ることが出来る。 僕は,嬉しかった。 だから,お神輿は担げない子供達でも盆踊りならみんなで踊ることが出来る。 誰でも主役になれる日を,もっと創ってみたい。 そんな思いつきを形にしていく。 盆踊りの日。晴天。 ベルリンの街中はかなり暑い。日本と違いカラッとしているが,日差しは強い。 朝から準備する僕たちに容赦なく照りつける太陽。仲間たちが集まってくる。 盆踊りの会場は,屋外の小さなイベントスペースだ。 中庭のような作りになっており,ちょっとした広場にモンゴル風のゲル,ドリンク販売用のカウンターがある。 そこに日本から担いで来た(空港でダリ君と一緒に)ちょうちんに,紅白の横断幕を飾り付ける。 これだけでかなり日本の雰囲気が出てくる。 通りすがる人たちも入り口からのぞいている。 今日は,盆踊り大会。 今回は手作りのパーティーなので,櫓は無いが,日本風の飾り付けが町内会の小さなお祭りを思い出させる。 拍連の,新たな試みだ。 日本から来たメンバーも,昨年一緒に神輿を担いだ仲間たちも一緒に飾り付けをし,開場までの準備を整える。 昨年ベルリンに神輿が来て,仲間たちが集まって,一年に一度の素敵な時間をまた創ろうとしている。 昼飯のピザと,配給されたバナナを食べながら,僕はスピーカーで長渕剛の西新宿の親父の唄を聞いていた。 ドイツ人に,そんな悲しい歌聞くなよと言われたけど,僕にとってはファイトが湧く歌なのだ。 ベルリンで,祭りの準備が終わってバナナを食べながら聞く「やるなら今しかねえ」の情緒をいつか伝えなければならない。 そろそろ,開場だ。  

2017ヨーロッパ紀行文③サンドウィッチ

2017/07/01 ベルリン神輿

スロベニアの朝ごはんは,だいたい毎日サンドウィッチだ。 パンにバターかクリームチーズを塗って,さらにチーズや生ハムを挟んでかじる。 もしくはジャムやハチミツを塗る。 チーズは日本ではなかなか高級品なので,これでもかと分厚く切ってたくさん挟んで食べてみたが,vid君曰く薄く切って食べた方が美味しいらしい。 欲張ってもいいことは無いと,朝から学ばされるのだ。 結構な大荷物である。予定では一晩のキャンプ。クロアチアについたら,vid君のお父さんの空手仲間(vid君の父は以前空手を教えていた)の船に乗り,4時間かけて島に渡り,キャンプするらしい。 釣りしたいぜと言っただけなのに,結構ハードコアな内容に変換されていた。 テントに寝袋,調理用具に食料,水のタンク,釣り具など,荷物を抱えて駅まで。 列車はすでに駅に到着していたが,まだ扉には鍵がかかっていて中には入れなかった。 ベルリンで食べた最初の食事は,ケバブだった。 皆さんドイツと言えばソーセージとお思いでしょうが,実はベルリンにはそんなに美味しいソーセージは無いらしく,ベルリンと言えばケバブに決まっているらしい(と,和歌山の祭りで出会ったALTのモーリスが言っていた)。 というのも,ベルリンという町はトルコ移民が大変多く,本格的なケバブが食べれる。 組み立ても終わって,再会したドイツの仲間たちとケバブ屋に入った。 ケバブは,今や日本全国どこに行っても見かける。田舎の小さなドンキホーテの前にだってあるのだ。 ヨーロッパのスーパーのどこを探しても,たこ焼き屋は見つからない。 トルコ人の商売根性はたくましいな,とケバブを見るたびに思う。 しかし,ベルリンのケバブは確かにうまい。野菜も何種類も入っているし,包む生地も厚手で焼きたてだ。肉も大変ジューシーでたっぷり入っている。 近所のドンキホーテで500円で売っているのとは全然違う。 僕らが宿泊したのは,ベルリンで音響関係の仕事を営むティムア君のアパートだ。 彼は宿泊用のベッドをたくさん用意してくれていて,我々日本人を歓待してくれた。 これから,全部で17人の日本人が来る予定だ。 全然誰も誘ってないのに,昨年の盛り上がりを聞きつけて皆実費で来てくれる。 皆さんお祭り好きです。 最初の週末に,盆踊り大会がある。 今年初めての試みで,お神輿だけでなく日本のお祭りの楽しさを伝えられるようにと企画した。 何踊ろうかなーとDJを任されていたので夢想していたが,その晩はさっさと寝てしまった。  

2017ヨーロッパ紀行文②変わらない姿

2017/06/30 神輿、祭

遠くの方で賑やかな声が聞こえる。 今日は金曜日,仲間たちで集まってかけがえのない時間を過ごしているようだ。 楽しそうな雰囲気が伝わって来る。暑い季節なのに,外でわざわざ火を起こしてバーベキューしたくなるのは何でだろう。 僕はいつも火の前にいるから,汗だくだが,焼きたてのソーセージを火傷しそうになりながら缶ビールで流し込むのが,焼き方の特権である。 そういえば,ベルリンについたのは何曜日だっけ。 僕たちはユニクロへ向かっている。アイスクリームはお預けだ。 一応,祭りの格好にちゃんと着替えて,ベルリンの地下鉄に乗る。 僕はいつも海外ではダボシャツを着ている。 特に暑い時,ダボシャツは風通しが良くて涼しいし,ベタベタしないし,快適だ。 ただ,日本で着ていると誤解されがちなのであまり着ない。 もっと流行ればいいのにと,心から思う。 ヨーロッパでの普段着は,毎年ダボシャツだ。 ユニクロには,昨年も来た。昨年はユニクロから大量の真っ白なTシャツを協賛いただき,その上からシルクスクリーンで拍連(かしわれん,ベルリン神輿チームの名前)のロゴを一枚ずつ入れるという大変な作業をしていた。(僕はしてないけど) 昨年のユニクロの思い出は,Tシャツが入った段ボールを事務所から受け取り,それを担いで電車で作業場に運ぶという地味なものだった。華やかな売り場とか,スタイリッシュな店員さんとか,そういった記憶は皆無だ。 ベルリンユニクロといえば,茶色くて持ちづらい段ボール。 今年のユニクロは一味違った。 何と,正面の自動ドアが開き,玄関から堂々と入れるのだ! と,感動したが普通にお客さんは皆そうやって中に入っている。 こんなことで感動できるのも去年の段ボールのお陰だと思うと,段ボールを担ぐのもなかなか良いものだ。 お神輿が置いてあった。 一年ぶりの姿。 少しほこりをかぶっていたが,間違いなく昨年ベルリンで上がった,あの神輿だ。 フランスまで1800km,途中で車が壊れて押したりとか,真夜中暖房が全く効かずしかも車が隙間だらけで凍えそうになったりとか楽しい思い出ばかりだけど何とか辿り着き,もう一度フランスで上げたあの神輿。 ただいま、なのかお帰り、なのか悩みどころだけど、何となく顔がほころぶ。 じいさんが作ったこの神輿。 40年近く前から僕の故郷で毎年上がっていた。 一体どのくらいの人に担いでもらったのかよくわからないが,誰一人としてベルリンのユニクロに飾られることを想像してはいなかっただろう。 これから,公開組み立てショーがはじまりますと,アナウンスが聞こえた。 公開組み立てショーとはいったものの,別に何か特別なパフォーマンスをするわけでなく,移動用に張られていた力綱を外し(じいさんこだわりの本式の構造なので,力綱をかけないと壊れます),鳳凰を取り付けて足にかけた力綱をもう一度貼り直して,飾り綱,鈴,紙垂をつける。 大変地味な工程だが,ドイツ人が集まって来て興味深そうに見ていた。 確かに,よく考えてみるとベルリンの真ん中にあるユニクロで,祭り装束に身を包んだ日本人が日本のよくわからない木造の構造物にロープをかけている光景は,大変非日常的だ。 僕といえばあそこに座っているドイツ人のおっさん去年もいたっけななんて不真面目に取り組んでいたが,ちゃんと神輿は飾りつけた。 お神輿に化粧がなされると,何となく遺伝子が反応している気がする。 結局どこにいても同じことしているので最初ダリ君にあった時くらいしかドイツに来た実感がないけど,再会した神輿と写真も撮れたし,あとの保管はお任せして,僕らはベルリン名物のケバブを食べに向かった。

2017ヨーロッパ紀行文①駅へ向かう前に

2017/06/29 ベルリン神輿

AM5時30分。 朝起きて,ここはどこだっけと思う時がある。 まだ夢の中のようだけど,意識を取り戻して行くうちにそんな気分も忘れてしまう。 僕が寝ていたのは,スロベニアの首都リュブリャナ,もっと言えば,そこに住む友人のvid君の部屋のベッドだ。 物語はヨーロッパの小さな国の小さな町の小さなベッドから始まるが,辿るのは僕の拙い記憶である。 ベルリンとフランスでお神輿を上げたあと,スロベニアに辿り着き,vid君に連れられて山登りしたり岩の上から川に飛び込んだり,焚き火を囲んでソーセージを焼きながらビールを飲んだりしたが,一番印象に残ったのが川が冷たかったということなので割愛する。 紀行文と銘打っておきながら書き始めるのはヨーロッパ最後の国,クロアチアへ向かう朝から。 リュブリャナ駅発の電車は朝6時半発。 vid君に起こされて,僕はこれから朝のサンドウィッチを食べるところだ。 体と脳の起床のギャップを最大限に感じて,ベッドの上で僕はキッチンに向かう気を起こしている。 と,このままだとヨーロッパに来た当初の目的を語らずに楽しい旅行の紹介になってしまうので,キッチンへ向かう前に色々と振り返ってみよう。 朝ごはんが出来るまで,少し時間がある。 ベルリンについたのは,朝7時。 何故か100個の提灯が入ったぐるぐる巻きの段ボールが出て来るのをベルリン,テーゲル空港で待っていた。 我が家に届いた100個のちょうちん,そしてベルリンまで届けるというミッション。 ちょうちんの隙間には,今回特別に製作した半纏も詰まっている。 最密充填構造となったはち切れんばかりの段ボールを,締め太鼓を締めるかのごとく全身で締め上げる。 日本の伝統技術は素晴らしいなと,ここでも感じていた。 しかし,荷物は一向に来ない。 段ボールが怪しいから捨てられてしまったのかと危惧する読者もいるかもしれないが,段ボールだけでなく乗客全員の荷物がまだ届かない。 ベルトコンベアは,静かに出番を待っていたが荷物を待つ子供はちょろちょろと走り回っていた。 空港で待っていたのは,陽気なドイツ人,ダリ君。 ナイストゥミートゥユーの後,僕らから段ボールを取り上げ,颯爽と歩き始める。 ダリ君は,Tシャツに半ズボン、スニーカーにキャップ。キャップのつばは,まっすぐだ。 そして,かけてるのかかけてないのかよくわからない眼鏡を,車までに何回も落としていた。 この眼鏡は,今まで何百回も落としているが,一度も壊れないんだ!すごいだろ! とダリ君は自慢気だった。 これから僕たちは,まず去年のアジト,あやちゃんとゆうい君のアパートへ向かう。 ベルリン神輿の首謀者たちだ。 1年ぶりの風景,変わってないなあとベルリンで思うのも変な気持ちだが,何度も食べたアイスクリームの味が忘れられない。早く食べたい。 ダリ君はとなりで色々話していたが,あんまり覚えていない。 記憶を辿りながら書いていると,人の記憶はいい加減だなあと思う。 と,感じながらもアパートのエレベーターの雰囲気とか,何度も荷物を持って上がった階段とか,よく覚えていて,人の記憶ってすごいなあと次の瞬間思う。 いい加減なのは,僕の思考回路かもしれない。 宮田さん、お疲れ様でしたー!! すっかりお腹の大きくなった(妊娠している)あやちゃんが,相変わらず元気そうに出迎えてくれた。 ゆうい君も,一見平常心だが多分テンション高めで出迎えてくれた。 今年も,怒涛のようなベルリン生活がはじまるのか。 これから僕らは,何故かユニクロへ行く。  

ベルリン,雨,お神輿

2017/06/06 ベルリン神輿

仲間が,いる。 ここベルリンに,お神輿があって,集まって来た。 僕が全国の祭りをまわり,出会った仲間。 どしゃ降りの雨の中で声張り上げて担いだ神輿。 最高に楽しかった。 こんなシーンが,さらに次世代へ続き,今小さな子供達が神輿に肩を入れるまで,僕らが繋いでいかなければいけない。 ベルリンのお神輿も,日本のお神輿も,僕らが未来を創っていく。 ベルリンで出会った少年が,いつか日本で神輿を担いでみたいと言ってくれた。 彼らの夢が叶うかどうかは,僕らの行動にかかっている。 僕らは,祭りの未来を創っていく作業をしている。 このシーンと思いを,当たり前に未来へ。 次は,フランス。

拝啓,祭人へ

2017/06/02 ベルリン神輿

「ベルリンの神輿で私たちが担ぐのは,何という神様なのか?」 あるドイツ人に聞かれた。 《祭のはじまり》 人々が祭を始めたのは,いつ頃だろうか。 おそらく,ヒトが社会を作り始めた頃から,祭は存在していた。 世界中どこへ行っても,パプアニューギニアの原住民でさえ,祭を行なっている。 とすれば,祭は本能的な人間行動のひとつであり,コミュニティ形成時の社会的システムなのだろう。 その祭が,消えてしまう時代が来た。 数百年,縄文時代からだとすれば数千年以上,我々の先祖は祭を続け,守って来た。 幾度も来る大きな時代の波の中でうねり,戦い,変化しながら現代に残っている。 そこには,命がけで祭に臨む「祭の男」がいたはずだ。 次世代に残すべく,何度も訪れる時代の変化に負けず,その価値とノウハウを継続し続けて来た。 しかし,現代。 おそらくあと10年で,数千の祭は数百年の歴史をストップさせるだろう。 時代を生きた先人の情熱も,無言のまま伝達を終わらせてしまう。 《今,ベルリンで》 僕は今,ベルリンにいる。 そしてまた,神輿が上がる。 祭を創る,という事は大きな責任と凄まじいエネルギーが必要だ。 そして,祭文化の中に内在し,核となるエネルギーの本質の中心を捉えていなければ成立しない。 僕の20代は,ずっとそれを探っていた。 「神輿で担いでいるのは,何なのか」   僕はずっと,この答えを探していたのかもしれない。 多分,最初の問いには,それがベルリンで無くても,ずっと僕には答えられなかった。 《神様の名前》 日本の神様に名前がついたのは,約1300年前,古事記が編纂されてからだ。 その前から祭が行われているのだとしたら,祭の最初の一ページに,名前がついた神様は存在しない。 それでは,神様とは何なのか。 僕らが神輿として担ぎ上げ,一年に一度行なっているのは何のためなのか。 その明確な答えが見い出せなければ,ベルリンで神輿は上がらない。 答えはここにあり,答えはここで創る。 まだ,彼らに最初の質問の答えを担ぐ神輿で示すのには時間がかかる。 しかし必ず伝える事は出来るはずだ。 神輿の中にある「存在」は,どうやって力を得て形作られて行くのか。 1300年間捉われて来た日本人の祭をもう一度取り戻すために,現代に残る祭の姿からその本質を抽出し,力強く次世代へ伝えて行く。 神様に名前が付く前に,祭りの中心にあったものを。 《次世代への選択》 祭を継続するか,無くしてしまうか。 それを選択するのは現代を生きる我々である。 数百年の伝統も,数多の情熱も,継承するかどうか,今,選択しなければならない。 選択するということは行動するということだ。 僕には,継承し続けなければならない祖父の神輿がある。 故郷の横浜春日神社,そしてベルリンに。 ベルリンで神輿が上がるのだから,日本でも神輿を上げ続けることは出来るはずだ。 神輿を上げ続けたいなら,上げ続けるための選択を行動をすればいい。 祭を無くしたくないなら,無くさないための選択をすればいい。 修飾するのではなく,本質を射抜けば,あとは祭の力に任せればいい。 ここベルリンにも,神輿の前で顔を輝かせる子供達がいる。    

ベルリンの朝

2017/05/30 ベルリン神輿

朝5時に目が覚めた。 まだ起きていない体を気にしつつ,少しづつ慣れ始めたベルリンの生活と日常の感覚のズレを僕の脳が修正していく。 今日で1週間が経った。 同じ部屋の仲間たちはまだ寝ている。 まだ昨日日本から到着したばかりの彼らは,時差ボケと疲れから,ぐっすりと眠ってしまった。 僕はゆっくりと起き上がり,少し顔を覗きながら横をすり抜けていく。 僕の足音よりも寝息の方が大きく聞こえた。 それでも物音を立てないように静かに靴を履いて,ゆっくりと玄関を開け,僕は外に出た。 ベルリンの朝。涼しい空気をめいっぱい吸いたくなる。 真夏のように太陽が照る日中を思うと,朝の空気はいつもより緑が嬉しく,風が優しい。 昨日道に迷って歩き回って出来た靴ズレを少し気にしながら,僕はゆっくりと駆け出した。 宿泊しているアパートのすぐ近くに,川が流れている。 ベルリンの地形は平坦なので,水は止まっているように緩やかだ。 川沿いには,たくさんの並木が青々としている。朝は早いが,ぽつぽつと人の姿は見える。 途中ですれ違うランナーたちは一生懸命で目があったりすることはないが,新しい場所で走っている高揚感から,僕は心の中で小さく挨拶をしたくなった。 息を弾ませ,足を進める。そんなに長い距離ではないが,豊かな時間が流れている。 穏やかなベルリンの川に浮かぶ白鳥が,わずかな流れに身を任せて僕の横を過ぎていく。 僕は立ち止まって,川のすぐ脇の開けた場所で体を伸ばして深呼吸した。 川を覗き込んでも水の底は見えないけれど,走りながら見ているよりも流れがわかる。 さっき走った向こう岸で,何人もランナーが走っている。 足元には,ビールの王冠がいくつか転がっていた。 昨日も天気が良かったから,ここで日向ぼっこをしながらビールを飲んでいたのだろうか。 昼間,川から反射する陽の光は眩しいけれど,川に足を投げ出してビールを飲むのは贅沢な時間を過ごせそうだ。 ベルリンの人は朝,よく川べりに座っている。 新聞や本を読んでいたり,友人と楽しそうに会話していたりする。 僕はなんとなく見慣れないけど,自然なその風景を横目にスタート地点へ向かってまた走っていた。 カラッとした気候なのでそんなに汗はかかないが,戻ってシャワーを浴びたら朝ごはんを作ろう。 冷蔵庫の中に残っている野菜のいくつかを思い浮かべ,僕は空腹の脳みそでメニューを考えていた。

映画「祭の男MIKOSHI GUY」

2017/05/14 神輿、祭

・もう,祭出来ないかもね。 「もう、祭出来ないかもね。」 僕の人生を変えたのは,この一言だったのかも知れません。 震災の年,2011年。 僕の祖父は亡くなりました。地元横浜春日神社の祭に人生をかけ,40年以上,ずっと祭を盛り上げ,続けてきた人がいなくなった。 祭の日,幼い僕はいつもたくさんの人に囲まれていました。夜のくじ引き,カラオケ大会,お神輿,その後一緒に遊んでくれるお兄さん。 そんな楽しい思い出がたくさん詰まった日。一年に一度の大切な日。 そんな日を無くさないために,僕はどうにかしなければと思った。 誰かじゃなく,僕が。 僕はじいさんの孫だから。 ・ひとりじゃない それから,たくさんの祭を訪れ,とにかくがむしゃらに神輿を担ぎました。。 何回も,何回も。声枯れるまで,体が動かなくなるまで。 祭のことを,神輿のことを,誰よりも知らなければいけない。 一人の男がどうして人生をかけて臨んだのか。 本当の意味で継承するために深奥にある祭りの魅力を,力を。自分なりに探っていたんだと思います。 僕はたくさんの人に出会いました。 日本各地,ご縁がある祭りに精一杯,「それでも」行く。 そこには必ず,祭りを愛し,祭りを作り上げて来た素晴らしい先輩方がいました。 そして僕には仲間が出来ました。祭りを背負って行くのは,僕だけじゃない。 じいさんが命がけで作って来た祭りを継承して行くことは僕にとってとても大きな課題です。 本当に不安でした。だけど僕はひとりじゃない。 それは勇気に変わっていきました。 ・ヨーロッパで上がる神輿 お神輿を,フランスへ。 想像もしていなかった挑戦でした。確かに外国でお神輿を上げるのはワクワクします。 しかし,そのためには神輿,祭りというものの正体を掴み,しっかりと扱えなければ海外,特に人の気質も宗教観も違うヨーロッパでは神輿を上げることは出来ない。 神輿は何故,人の気持ちを高揚させ,連帯を産み,さらに美しく動くのか。 神輿を上げるのは,僕。 僕はさらにさらに深く,祭りや神輿の本質を目指して潜って行くことになります。 ・日本もフランスも,同じ フランスで神輿は上がりました。 美しく,激しく,豊かに。 神輿とは,祭りとは。その答えなんてわかっていなかった。 だけど僕の中にあった根拠の無い仮説を証明したかった。 理屈でなく,現象で。 誰もやったことが無いのだから,やってみて証明して行くしかない。 答えはきっとその向こう側にあります。 神輿を担ぎ上げた後,担いでくれたフランス人の溢れるような笑顔,連帯,その空気。 僕が小さな頃から知っていた神輿を担ぎ上げた後の最高の風景と何も変わらなかった。 これが神輿の力,祭りの力。 僕は祭りの持つ底知れない大きな力の核に少しだけ触れることが出来た気がしました。 ・僕が祭りに恩返し出来ること 僕にこんなにもたくさんの仲間と,経験と,最高の瞬間をくれた祭り。 先人が命がけで守り,伝えて来てくれた祭りに感謝し,僕は残された命を祭りへの恩返しに捧げようと思っています。 僕の祖父は最後まで祭りを愛し,その人生をたくさんの素晴らしいご縁に囲まれて終えていきました。 今までがむしゃらに祭りにぶつかり,探り続けて来た。 でも僕は少しだけ祭りの本来持つ大きな力に近づくことが出来たような気がします。 これから,次世代にどんな祭りを残せるか。 残念ながら,祭りを含めた日本の風景はだんだんと消えていっています。 受け継がれた志は,消えてしまうかも知れない。 あと30年かけて,どんな祭りの未来を残せるか。 それはこれからの選択にかかっています。 より良い未来を作るなら,より良い選択をし続けるしかない。 祭りの日,あんなにも楽しそうに笑っている人たちの風景がずっとずっと続いていきますように。...