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雄勝のきずな、鼓舞4

どこまでも爽やかな朝だ。どこまでも突き抜ける空。コバルトブルーにゆれる海。僕らはひとつのページをめくった。2011年3月11日に生まれた山車が、その日をきっかけに出会った雄勝という場所に降り立った。雄勝の人達も全然知らなかった。この場所にも来る事もなかったかも知れない。お祭りのキーワードでつながった場所。一生、参加します。祭りは、そういうこと。茨城へ向かっている。しげきさんも笑顔だ。 きずな。この言葉を嫌いな人もいる。簡単に使いすぎる人もいる。だけど、僕と、雄勝と、しげきさんと。お祭りのためにつながったもの。一生かけたいと思った覚悟。それが きずな なんだとしたら。僕は大好きだ。そんな人達とそんな場が。つくばではしげきさんの里、小田不動尊のお参りを大獅子保存会の方々がしていた。小田の里の小さな不動尊。行灯が丘の上の不動尊まで並ぶ。ひとつひとつ行灯に火を入れ、お囃子を鳴らしながら階段を上る。幻想的な風景だ。里にある風景。里にある人の営み。きずな。週末、僕らは出発する。鼓舞という大きな一歩のために。

雄勝のきずな、鼓舞3

僕らは常磐道を北へ向かう。ユニックには僕の山車が乗っている。紛れもなく、僕が作った。バックミラー越しに写る、縦に積み上がった山車。異様な姿だが、僕の大事な作品だ。ドライバーはしげきさん。ダッシュボードには、スルメとコーヒー。いつもの遠征のスタイル。と。エンジンが止まった。 ん!何かが、おかしい!サイドミラーに写り込む、白煙。室内にも侵入して来た。惰性でインターを目指そうと思ったが、大事をとって停止。僕らは高速道路に放り出された。灼熱の道路上。ミサイルのように走り来る車たち。僕らは山車を積んだ壊れたユニックとともにいた。 どうしましょうね、、、発煙筒に火をつけ、しげきさんは色んなところへ電話している。物語はいつもドラマティックに進む。何とか助けが到着し、事なきを得た。エンジンはダメかも知れない、が山車は運ぶしかない。運良く、代わりのユニックが見つかった。貸してくれたのは、しげきさんがユニックを購入したところ。 これなら大丈夫ですよ、ただこれから名義変更するんで、ちょっとお待ちを。人の縁と幸運が重なっていた。山車は、雄勝へ向いている。僕らはもう一度走り始める、ユニックは快調だ。山車も心配ない。  一気に行くゼ!まだ、土浦。僕らと、僕らの山車は、鼓舞へ向かっている。雄勝の祭りの、新たな一ページを共に刻みたい。僕の山車が静かに目覚め始めていた。pm 10:30。たなこ屋商店街に到着。一見だけ灯りがともっている。そこが洸洋、神楽師の上山さんのお店。山車は無事届けられた。僕らはクタクタだ。今夜は早々に寝て、次の日の朝山車は下ろすことにする。しげきさんの長距離運転をねぎらい、上山さんが用意していてくれたビールと心づくしの料理。美味しくてたまらなかった。今夜は明神に泊まる。しげきさんも僕も、泥のように眠った。朝。上山さんが迎えに来る。太陽がさんさんと照りつける、暑くなりそうな日だ。山車は無事雄勝へ降り立った。雄勝のまつりの小さな一ページへ。しげきさんは雄勝のおみやげを選んでいた。祭りは、ついに週末だ!

山奥のおかぐら

遠くでお囃子がきこえる。ここは山梨県小菅村。高速の出口から1時間ほど、山道を走ったところだ。今日は熊野神社の例大祭。先輩がお神楽を舞う。それを見るために、来た。果てしなく山道だ。牡鹿半島の鮎川浜までの道を思う。海は見えないが、だんだんと深く山へと入っていく。途中川が流れている。渓流を見ると、岐阜を思い、投網を投げたくなったりもした。今日は投網は持っていない。僕は夏の終わりの涼しい山の風を感じながらボンゴを走らせる。神社についたが、誰もいない。電話もつながらず、僕は孤立していた。田舎ではよくあることだ。祭りは18:00から。僕は山の風の中を感じながら車の椅子を倒した。2時間ほど、経っただろうか。電話が鳴っている。 ごめんごめん、ここ電波ないんだよね、お祭りはじまるよ!僕は神社へ向かう。やっと合流出来た。つくばから4時間ほど。何度も誘われていたがご縁に恵まれなかったここは小菅村、小永田という地区だ。先輩はずっと小菅村とご縁を持ち、一時期住んでもいたようだ。加藤翔さん。僕の高校の先輩だ。高校時代は全く縁がなかったが共通の知り合いの紹介でご縁ができ、様々な場所で出会いがある。先日も陸前高田でともに山車をひいた。普段は稲城市に住んでいる。白いTシャツに作業ズボンという出で立ちで、後ろのベルトに笛をはさんでいた。到底これからお祭りだとは思えない格好だが、神楽の舞台は立派に飾り付けられ前にはブルーシートが広く敷かれている。これから祭りが始まる。里の演者達にはお神酒が振る舞われる。 今年も楽しいお祭りをやりましょう!区長さん。シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャン。ここの手締めは7つ締めだ。ちなみにつくばの小田の祭りはシャンシャンシャン、シャシャシャンシャン、シャン。手締めの文化は面白い。こんな小さなことだが地域文化、日本を感じることが出来る。舞台が、始まる。お客さんはまだあまりいない。お囃子に合わせ、神楽師が勇壮に、時に優雅に舞う。 格式ばった神楽なんてものより、菓子でも食いながら笑って観るのも神楽だべっちゃ。雄勝法印神楽の神楽師で鼓舞の発起人である上山さんの言葉だ。舞台や演芸を、僕らはどこか「静かに」「行儀よく」見るものだと思ってしまっている。神事である神楽は特に何も知らない僕たちにとってはそう思えてしまう。いつしか舞台上と舞台下が分離してしまっていたが、神楽師の上山さんはそうではないという。  子供の頃は舞台の端っこに座ってお菓子食べながら見てたもんだよ、酔っぱらって舞台に上がって来て口の中にご祝儀やまんじゅう詰められたりしてさ、よく鼻血出してたっけな!舞台の外で笑い合う子供たち、真剣に見ている神楽好きな視線、お祭りで久しぶりの再会を喜ぶ声、愛情たっぷりの野次・・・・そんな中で神楽は風景に溶け込んでいる。神楽を舞う演者と神社に礼をはらい、素敵に楽しめるきっかけ。そんな、愛される風景を。だんだんと人が集まって来た。神楽舞台の前にたくさんの笑顔。みな思い思いに食べ物を広げ、ビール片手に楽しんでいる。誰も「真剣」じゃない。子供も、大人も、お年寄りも。みな朗らかだ。全然見てなかったり、笑い声が起こると時々面白そうに顔を向けたり。舞っているのはみな里の仲間なのだろう、面をつけても名前が飛び交う。 ◯◯ちゃん、日本一!温かな場だ。とても心地よい空間。翔さんが出るのは第二幕、剣製作貢之幕だ。小僧の役として、おどけた場面もあり、しっかりと舞う場面もあり。舞台の重要な登場人物。翔さんは、小菅村の一員だ。舞台の最後、千秋楽は道化の演目だ。一番うまい演者で行う、ほとんどがアドリブだという。お客さん達も多いに盛り上がり、大声を上げて笑っていた。最後はお菓子をまいて、終了。間違いなく里の素晴らしい風景だった。神楽。神輿しか知らなかった僕の世界がひとつづつ広がっていく。里に愛され、根付いているたくさんの楽しく温かい風景がある。これからもたくさん学んでいきたい。未来の子供達に伝えられますように。

雄勝のきずな、鼓舞2

物語はいつもドラマティックだ。朝7:30。僕は前日の長野武井神社の祭礼から4:00に出発し帰って来ていた。約束は8:00だ。ユニックが家に迎えに来る。白銀神社の神輿のときと同じ、しげきさんのあのユニック。しげきさんは小田の大獅子保存会、獅友会の副会長で僕の兄貴分だ。祭りがご縁で出会った。今回も祭りのことなら、としげきさんにお願いした。 オイッス!しげきさんは庭師。小柄な体で高い木の上でも身軽に動き回る。赤銅色に焼けた肌に真っ白なワイシャツ。襟元には三ツ星に一文字の渡辺星の家紋という粋な出で立ちだ。何度目かのしげきさんとの冒険に胸が高鳴る。山車の置き場にはマギーがいた。先日のまつりつくばでしげきさんには会っている。まつりでつながるご縁だ。ここで一つ目のハプニング。山車が大きすぎる。平のユニックにそのまま入る予定だったが山車の幅が大きく、入らない。のでしげきさんは考え、縦に積むことにした。山車が縦になっているのを見るのは初めてだった。自分で作ったものだが、思ったよりしっかりしている。2年半の月日が流れ、この山車は文字通り立ち上がったのだった。 いってらっしゃい!僕らは山車を積み、出発する。今日も雄勝には待っててくれる人がいる。この山車がまたたくさんの人に笑顔と感動を与えられますように。雄勝でまたお祭りがある。とっても素敵なことだ。仮設商店街の店子屋オープン祭、店子屋一周年。白銀神社例大祭。そして鼓舞。僕らは雄勝の祭りの風景になりたくて、少しずつ少しづつ縁を深めてきた。また特別な一ページ。あの日から、2年半。僕らは順調に走っていた。今週末は、お祭りだ!お祭りの力。芸能の力。それを信じて、実行する先輩がいる。僕も学びたい。僕も知りたい。じいさんが人生かけて追い求めたお祭りの意味を。

雄勝のきずな、鼓舞1

お祭りとはなんだろう。いつも考えていたこと、けれど改めて言葉にはしなかったこと。「鼓舞」は、震災後初めて生まれた「お祭り」だ。味噌作胴囃子愛好連伊達の黒船太鼓雄勝法印神楽の3つの芸能の団体が主催している。発起人は、雄勝法印神楽の神楽師であり店子屋洸洋のおやじ、上山さんだ。 お祭りってさあ!上山さんと飲んでいたとき聞かせてもらった。非常に印象的な言葉だった、僕はお祭りの本来の姿に触れた気がした。 「お祭りってさあ、今回の震災のように何か大きな出来事があってその後の鎮魂の意味とか、ばらばらになった心をもう一度一つにする意味とか、そうやって始まるものなんだと思う。 今回の震災で雄勝で生まれるお祭り、それが鼓舞なんだ。ここにある芸能の力でどれだけの人が帰って来てくれるか。雄勝をもう一度思い出してくれるか。 芸能は人のよりどころでなくちゃいけない。いつもそばにあるものなんだよ。  だから、お祭りやるんだ。」今回のお祭りは、意味が違う。雄勝の町と人の営みの中で生まれて来た新たな息吹なんだ。今回の鼓舞で、僕の山車が登場した。なんて嬉しいことなんだろう。地元の芸能「だけ」で行われたはずのお祭りに、僕らが参加させてもらった。スペシャルゲストとしてだが、同じ舞台に立つことが出来たのだ。上山さんは言う。「雄勝には神輿はあったけど山車はなかった。雄勝の祭りの新たな一ページには山車がふさわしいんじゃないかな」俺の山車は奇しくも2011年3月11日に完成した。朝5時。前の日徹夜で仲間と山車を完成させたのを覚えている。完成して仲間と刻んだ。なつかしい。こんなものが残っていた。差し替えた欄干の柱だ。山車が完成して、仲間達と山車の上に飛び乗って、そのまま空を見た。夜明けだった。そんな思い出がある。家へ帰って、もう一度山車を見に来た。14時46分。大地震が起きた。3月13日に予定されていたお祭りは中止になり、山車はお蔵入りとなった。そう考えると、ずっと眠っていたこの山車は鼓舞のためにずっと力を蓄えていたような気がする。この山車はあれだけのエネルギーで産み出されたにも関わらず邪険にされ、陽の目を見ることはなかった。あれから2年と半年が経った。やっと!やっと!思い描く最高の舞台へ。俺の山車は出発する。いつものしげきさんのトラックに乗って・・・・いざ、雄勝へと!

陸前高田最後の日に

[日時]2013/8/11[場所]岩手県大船渡市大船渡町野々田地内 屋台村特設会場[名前]第三回 三陸海の盆日曜日はお祭りの片付け。山車の解体を行った。朝集合して、山車から棒を抜き、保存場所へ移動させる。お祭りの時の熱さはもう、ない。来る人はみな、もう 地域のおじさん だ。世間話をしたりしながら着々と山車や飾りを解体したりしている。今日でお祭りは終わりだ。あの日いた顔も全ては見えない。約一ヶ月間毎日飾りをつくり囃子を練習してきた「和野組」のお祭りが終わってしまうさびしさは僕らには感じきれないが日常の笑顔の中に少しだけ感じることが出来たような気がした。反省会という名の最後の飲み会を終え僕らは仲良くなった地元の子達と、今回お世話になっている高校の先輩の翔さんともに大船渡で行われていた三陸 海の盆へと向かった。これは震災後始まったもので、第三回を迎える。追悼の意を込め、周辺地域の郷土芸能を集めて盆踊りと音楽で作られる。大船渡、仮設屋台村の特設会場には地元の方も多く来ている。スタッフは外部のボランティアも多い。出店もたくさん出ている。とても楽しそうな雰囲気だ。僕らがついたころには南三陸町の鹿子踊が披露された。獅子頭と、鹿の角、特徴的な飾りがついて舞われる鹿子踊。南三陸町の鹿子踊はおよそ300年以上前南三陸町のとなりにある登米領主が召し抱えていた伊藤伴内持遠が名付け創始したとされている、と解説に書いてある。南三陸町の志津川の南戸倉にある水戸辺地区の小高い丘の上にはそれを裏付ける石碑が今も残っているらしい。先日戸倉の津宮にお住まいの銀鮭漁師さんから銀鮭とホタテを頂いたご縁があって非常に興味深く見ていた。鹿子踊はプログラムに書いてある他の地域にも見られる。先日七夕を引いた和野地区では獅子ではなく虎が舞われ、毎年1/15に披露されるらしい。参加するとお年玉やお菓子が貰えるようで地域の子供達は楽しみにしていた。今回参加していたのは以下だ。◎大船渡市赤澤鎧剣舞仰山流笹崎鹿踊り平七福神寺町一座川原鎧剣舞大船渡東高校太鼓部フラ・カメリア◎大船渡市外郷土芸能等黒森神楽(宮古市)臼澤鹿子踊(大槌町)本郷桜舞太鼓(釜石市)青笹鹿子踊(遠野市)藝道宗演歌舞練会(陸前高田市)小府金神楽(住田町)崎浜大漁唄込(気仙沼市)水戸部鹿子踊(南三陸町)河内屋菊水丸(大阪府)岩崎鬼剣舞(北上市・友情出演)バンブーダンス(気仙在住フィリピン出身者)各芸能が20〜30分づつ披露される。これだけのものが一度に見ることが出来る場はなかなかないだろう。この全て、ひとつひとつに物語がある。全てを一度に追いかけることは出来ないがこういった地域芸能の 入り口 が提示されたことは非常に興味深い。芸能という切り口で三陸がひとつになる行事となった。僕は運転だったので飲めなかったが仲間達や観客は酒を飲みながらみんな楽しそうにそれらを眺めていた。そういった風景が新たに作られていく。9/1、石巻雄勝にて 鼓舞 という祭りが行われる。雄勝の地域芸能がひとつになりこれまでの600年ではなくこれからの600年を考えるという。芸能が新しい形を求め始めているのかもしれない。この日の締めくくりはLIGHT UP NIPPON。沿岸各地域で同時に花火が上がった。毎年なぜか縁があり僕は必ず東北の地にいた。一昨年は南三陸、昨年は雄勝、今年は陸前高田だ。素晴らしい縁を頂いている場所で素敵な仲間と見た花火は特別な時だった。東北の力を信じ僕たちは陸前高田を後にした。